"母が残した最後の住所" 第2話
と聞くと、「もういないよ」とだけ答えて別の話を始めた。
だから俺は、母には帰る所がないのだとっていた。
俺と同じように。
母にも、俺しかいないのだとっていた。
そのい込みが全部ひっくり返るのは、母が「あと20は働ける」と笑った、わずかかのことだった。
5の第曜は朝からだった。母は珍しくスーパーも居酒も休みで、「今は米がいから付きいなさい」と俺を連れした。所にもはあったが、駅の向こうのスーパーなら10キロの米が300円いため、母はのを25分歩く方を選んだ。
買ったのは米と卵、特売の鶏肉、それに例の赤いラベルの噌だった。俺が「それだけいやつでいいの?」と聞くと、母はしだけ考え、「これだけはいいの」とかごへ入れた。帰りには、休みに泊だけ旅へこうという話までした。
「温泉じゃなくてもいいの。が見える旅館へ度泊まりたい」
「うちだってのくだろ」
「違うのよ。旅館の窓から見るがいいの」
母が自分のために何かしたいと言ったのは、そのが初めてだった。
交差点へ差しかかった、歩者信号は青だった。母が先を歩き、俺は10キロの米袋を抱え直すためしろになった。の特の、タイヤがを切る音がからづいてきた。
音が止まらなかった。
顔をげたには、いワゴンが横断歩へ入り込んでいた。
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母はすでに半分以渡っていた。それなのに、そのまま向こうへ逃げず、俺の方へ戻ってきた。米袋を抱えた俺を突きばし、自分の腕でを抱え込むようにかばった。
体が浮いた。
アスファルトへ肩から落ちた。
のすぐそばで、母の声が聞こえた。
「何があっても、きなさい」
俺が次に覚えているのは病院の井だった。蛍灯が列に並び、そのうち本だけがちらついていた。と肩に包帯が巻かれていたが骨折はなく、医師は「運がよかった」と言った。
「母さんは?」
医師は術が何から何までわれたのか、つずつ順番に説した。そので俺をまっすぐ見て、静かに言った。
「お母さんはくなりました」
俺は「はい」と答えた。
自分でも驚いた。
涙はなかった。
言葉のは分かるのに、「母がんだ」という事実だけが体のへ入ってこなかった。
夜になり、病の気が消えてから、それは突然やってきた。布団をからかぶり、声が漏れないようシーツをへ押し込みながら泣いた。今から先の全部のに母がいないのだと分かった瞬、息の吸い方まで分からなくなった。
葬儀の準備は、父の姉である久保義子伯母がしてくれた。もっとも、病院へ来た伯母が最初にしたのは俺を抱きしめることではなく、葬儀費用と保険の確認だった。
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「あんた、こういうこと何も分からないでしょう」とため息をつかれたが、実際その通りだった。
母の財布には8千円とし、通帳には12万円しかなかった。事故を起こした男は任保険へ加入しておらず、補償の話もすぐにはまないらしい。賃は4万5千円で、翌にはや気代も落ちる。
葬儀が終わった翌、俺は伯母のを訪ねた。14歳の俺がで暮らせないことくらい分かっていたし、ほかに頼れそうな親戚をらなかった。伯母は玄関の扉を半分だけけ、俺をへげようとはしなかった。
「うちに来られても困るのよ。美紀だって来受験だし、余裕なんてないんだから」
「しだけでも……」
「施設とか、そういうところへ相談すればいいでしょう。体、あなたのお母さんが誰にも頼らずを張ってきたんじゃない」
扉が閉まった。
鍵のかかる音がした。
帰りのバス代は持っていたが、俺は1半かけて歩いて帰った。「うちに来られても困る」という言葉が何度もので響いた。実際、突然14歳の子どもが転がり込んできたら迷惑なのだろうと、自分でもった。
アパートへ戻ると、階段の段目がいつものように鳴った。
部は真っ暗だった。
誰もいなかった。
その夜、俺は初めて周りを気にせず声をして泣いた。隣の部に聞こえてもいい、誰かが来てもいいとった。
けれど、誰も来なかった。
数、の職員が学を通じて訪ねてきた。