"軍艦島、命をつないだ白い飯" 第3話
米も野菜も噌も、この島で作られたものではなく、そのくがを越えて届いたものだった。
息子が魚へ箸を伸ばした。
「今も魚?」
「嫌ならお父さんがべるぞ」
男が言うと、息子は慌てて皿を抱える。
「べる」
妻が笑った。
狭い部だった。
の階で子どもがる音がして、共同廊では誰かがきな声で隣を呼んでいる。壁越しには別のの夕の匂いまで漂ってきた。
それでも男にとって、このだけは坑内から完全に切りされた所だった。
さっきまでのには何百メートルもの岩盤とがあった。
今は息子が噌汁をこぼし、妻が雑巾を取りにっている。
その落差が、ときどきおかしかった。
男は茶碗の飯をかき込んだ。
体が塩分と分だけでなく、米そのものを欲しがっているのが分かる。坑内で8働いたは、く盛られていても、茶碗はすぐ空になった。
「もう杯」
妻は何も言わず、杯目をよそった。
それを見ながら男はふとった。
この島へ来る、親戚から言われたことがある。
「炭鉱は危なかぞ。でも、飯だけはえるらしか」
そのは、料がいからだとっていた。
実際、端島の坑夫の賃はかった。
昭20代半、卒の初任が6000円から9000円ほどだった代に、坑夫のは600円だったという証言もある。
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独寮なら事を含めても1500円ほどで暮らせたという話まで残っている。
の代になれば、その差はさらに目った。
昭40代の終わり頃、卒初任が5万円台だった代に、坑夫の収が20万円ほどに達していたという記録もある。
危険当。
族当。
い居費。
会社が支える活設備。
確かに、稼ぎだけ見れば豊かだった。
しかし男には、ひとつ腑に落ちないことがあった。
終戦直、本では米がりなかった。
配が予定に届かない。
何も遅れる。
では公定価格では考えられない値段でべ物が売られる。
男の親戚も、「があっても米がない」と何度もにしていた。
なのに炭鉱では、腹を空かせるほど米が途切れたという話を、なほど聞かない。
料がいからで買った。
それだけでは説できなかった。
が止まれば、野菜も魚も減る。
でさえした。
それほど脆い島なのに、なぜ米だけは坑夫の腹を満たし続けたのか。
男が杯目をべ終えた、妻が棚の引きしをけた。
「そうだ。、これ持っていかないと」
古い冊子を冊取りす。
表には、見慣れた文字があった。
米穀通帳。
米の配を受けるため、世帯ごとに使われていたものだった。
男は何気なく受け取り、頁をいた。
族の数。
齢。
配量。
細かな数字が並んでいる。
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そして、その端に般の世帯とは違う記載があった。
男の指が止まった。
そこには、自分の職業を示す言葉がかれていた。
《鉱物採取者》
その横には、般の成とは違う配量が記されている。
男はもう度、ちゃぶ台に置かれたい飯を見た。
本では、米をに入れるだけで苦労している者がいる。
この島では、さえで運ばなければならない。
それなのに自分たちの茶碗には、なぜこれほど米が盛られているのか。
男は通帳から顔をげた。
「なあ」
妻が振り返る。
「俺たち、どうしてこんなに米がもらえるんだ?」
妻も答えをらなかった。
ただ、米穀通帳のさな文字だけが、その理由をっているように見えた。
答えは、坑夫の料袋のではなく、国の制度のにあった。
本では昭16から米の配制度が本格化し、世帯ごとの米穀通帳を通じて主が配られた。成であればあたりおよそ330グラムが基準とされていた期があるが、そもそもその量自体、分に腹を満たせるとは言い難いものだった。
しかも、すべてのが同じ量だったわけではない。
農業。
漁業。
鉱物採取。
建設。
特に体力を使う仕事に就く者には、労働者として通常よりい配を認める仕組みがあった。
炭を掘る坑夫は、その対象だった。
底1000メートルくまでり、気温30度、湿度90パーセントを超えることもある坑内で体をかす男に、分の米を般の事務職と同じ量だけ渡しても、体がもたない。