"母が隠した四十九枚の領収書" 第11話
野は僕の顔をじっと見つめた、何も聞かずに鍵をに取り、無言で頷いた。
百号の引き戸をけると、暗い部の隅にさな常夜灯が点いていた。 パイプベッドの、青は昼と全く同じ姿勢で横たわっていた。 ただ胸がかすかにし、折、喉からさく掠れた息が漏れている。
僕はパイプ子を引き寄せ、ベッドの脇に腰をろした。 ポケットから、あのだらけのノートを取りし、サイドテーブルのに置いた。 その隣に、母の青いビスケット缶から持ってきた、枚の領収の束をねる。
「……航平」
初めて、その名を彼に向かって呼んだ。 偽りの名ではなく、正当な権利を持つ彼自の名として。
青は反応しない。井の点を見つめたまま、微だにしなかった。 僕は自分のを伸ばし、彼の痩せ細った、たい指先を包み込んだ。 皮膚は乾燥してく、骨の節々が指の腹に直接触れる。、このは度も誰かを殴ることも、誰かを抱きしめることも、ペンのみをじることもなかった。 僕が区の学をり回り、の部活で汗を流し、学の図館で夜遅くまで本をめくっていた、彼はこの畳の井だけを見つめ続けていたのだ。
「すまなかった」
からたのは、それだけだった。 彼が僕を許すことはない。
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そもそも、僕が誰かも、自分が誰かも、彼は認識できない。 それでも、言葉にせずにはいられなかった。
母・静は、このベッドに横たわる実の息子ので、度も声をして泣くことが許されなかった。 罪悪という名の毒を毎しずつみ干しながら、僕の待つ卓で噌汁を温め、僕の「お母さん」を演じ続けた。 彼女のは、幸福などではなかった。のすぎる煉獄だったのだ。
「野さん」 僕は振り返らずに、部の入りにつ職員に声をかけた。 「母が送っていた毎の維持費……これから先、僕が引き継ぎます」
野が息を呑む気配がした。 「でも、佐伯さん……お母様がくなられたのなら、法な続きをして、公な見制度を利用することもできますよ。あなたはお若いし、ご自の活が……」
「僕がやります」 僕は青のをそっとベッドに戻し、ちがった。 「僕が、このの族ですから」
嘘ではなかった。 血の繋がりなどない。戸籍のでも、僕は彼から名を盗んだ赤のに過ぎない。 だが、母が背負い、僕に渡してしまったこののみから、僕だけがを引くことなどできなかった。 鷹ので餓しかけていた「ユウキ」を救いし、佐伯航平としてのを与えてくれたのは、母の歪んだ罪の識だったとしても——僕が今まできてきた現実は消えない。
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翌週、僕は区役所の民課に退職届を提した。
「佐伯くん、正気か? まだ採用されて目じゃないか」 課は困惑した表で、僕の顔と類を交互に見た。 「母親をくして辛いのはわかる。し休職してもいいんだぞ。公務員の分を捨てるなんて、もったいなさすぎる」
「個な事です。野の実の方で、引き継がなければならない庭の事がありまして」 「……野に、実なんてあったか?」 「はい。僕の、本当の族がいます」
僕はくをげた。引き留める同僚たちの声を背に受けながら、自分のデスクの私物を袋に詰めた。 民基本台帳を管理し、のとを記録し続けたその席をれることに、片の悔いもなかった。
都営団のアパートを引き払い、荷物の半を処分した。 最に残ったのは、あの青いビスケット缶と、だらけのノートだけだった。
僕は茅野内にさなアパートを借りた。 元の運送会社の倉庫管理の仕事を見つけ、はフォークリフトをかし、汗を流した。 公務員の頃のような定も、社会位もない。だが、銭を稼ぎ、自分ので飯をっているという覚が、初めて僕の皮膚に馴染んでいくのが分かった。
週末になると、僕は軽自をらせて青峰苑へ通った。 百号のカーテンをけ、子へ彼を移し、施設のさな庭を散歩した。
ヶ岳から吹きろすのが、ススキの穂を揺らし、青の乾いた髪を撫でていく。