"「籍を抜いてから行け」と言われた嫁" 第2話
母がくなることを認めるようで怖かったからです。
けれど今。
ようやくけるが来たのだと分かりました。
1階へりると、子はもうテレビを見ていました。浩司もその横に座り、私が本当にていくとはまだっていないようでした。
「じゃあ、ってきます」
私が言うと、子は画面を見たままで笑いました。
「度と戻ってこなくていいからね」
「はい」
玄関の扉を閉めました。
属の音がして、20の活が私の背で切りされました。
駅へ向かう途、私は度も振り返りませんでした。
そしてへ乗るに、駅の郵便局へ寄りました。
まだ封筒のを全部確認したわけではありません。
それでも、母から聞かされていたつの続きだけは、そののうちにしておく必がありました。
窓で類を差しした。
初めて私は、自分が本当に吉沢をれたのだと実しました。
実へ戻ると、玄関にはまだ母の靴がだけ残っていました。捨てることができず、そのままにしてあったものです。私は荷物を置いて仏壇のに座り、遺ので穏やかに笑う母へ「帰ってきたよ」と声をかけました。
その夜、私は茶い封筒をきました。
に入っていたのは、古いの登記事項をまとめた類、20の付が入った賃貸借契約の写し、弁護士の名刺、そして母の直のでした。
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《里見へ。まず驚くとうけれど、吉沢さんたちがんでいるのは、お母さんの名義です》
私はそこでを止めました。
最初はが分かりませんでした。
吉沢は、夫の祖父の代からあの所にんでいると聞かされていました。もも当然、義父たちのものだと20信じてきたのです。
しかし類を読みめると、事がしずつ分かってきました。
約20、義父・正が経営していた吉沢設備は、刻な資難に陥っていました。会社の倉庫と自宅が建つを放さなければ資を用できないところまで追い込まれていた正を助けたのが、当元の産会社に勤めていた母でした。
母は自分の貯蓄と、祖父母から受け継いだ資産を使い、そのを正から買い取りました。そのうえで吉沢がみ続けられるよう、期の賃貸契約を結んでいたのです。
賃は相よりかなりく設定されていました。
正が会社をて直すまで。
という母の配慮でした。
私は息が苦しくなるほど衝撃を受けました。
子はいつも私に言っていました。
「あなたみたいな貧しいの娘を、うちが嫁にもらってあげたのよ」
母がで私を育てたことを見し、実の古さを笑い、私が持参した具まで「物」と馬鹿にしてきました。
けれど実際には。
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彼女が20当たりのように暮らしていたのは、その「貧しいの女」である母の善によって守られていたのです。
母のは続いていました。
《正さんは全部っています。でも子さんには、詳しい事を話していないはずです。お母さんからお願いしたの。あなたが嫁いだばかりの頃、子さんが私をどう見ているか分かったから》
なぜ母がそんなことを。
私は胸が痛くなりました。
その答えも、次のページにありました。
《正さんは悪いではない。でものことから逃げるです。浩司さんも同じところがある。だから、あなたが無理をしていないかずっと配でした》
母は全部分かっていたのです。
私が実へ帰るたびに「うまくやっている」と笑っていたことも、本当は義母の嫌を損ねないよう息を殺して暮らしていたことも。
さらに封筒には、弁護士が準備した通文案が入っていました。
の所権を相続した、契約内容を確認し、必であれば賃貸関係の見直しを求めるための類でした。母はから弁護士へ相談し、私が吉沢をれることになったに備えていたのです。
私は郵便局から、まず相続に必な類の部を弁護士事務所へ送っていました。
子たちをすぐに追いすためではありません。
自分の財産が、今どのような状態にあるのかを正式に確認するためです。
翌、私は名刺にあった弁護士・野寺先へ連絡しました。