"葬儀代10万円を拒んだ叔父――17年後、空の封筒を持って私は戻った" 第17話
10万円の返し方
事件から半、健造に実刑判決が言い渡された。
法廷では、庭の映像と録音、17件の台帳、の入記録、会計システムの操作履歴がつずつ確認された。健造側は最まで「返済の遅れたに正当な請求をしただけ」と主張したが、500万円を2000万円とした根拠も、6軒のをい価格で取得した経緯も説できなかった。
記者会見で声をげた12は、返還と賠償を求める続きを続けた。さんには差し押さえられた資産から最初の支払いがわれ、佐藤さんのの登記には、75変わらなかった名がそのまま残った。
健造の声で保留された2社との契約も、部調査で会社資の私利用がないと確認された、交渉が再された。63件あった問いわせには、広報部が資料を添えて1件ずつ回答した。私は、全てが元に戻ったとはわなかった。失われたも17は戻らない。それでも、奪われたが「自分が悪かった」と責め続けるは終わらせることができた。
その週末、私は佐藤を訪れた。漏りしていた根にはしい瓦が並び、軒では直が具箱を片付けていた。玄関をけると、噌汁の湯気と焚きたての米の匂いが流れてくる。17のたいアパートで、佐藤さんが運んでくれた事をいした。
私は卓へ古い封筒を置き、しい1万円札を10枚入れた。
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その隣には、1000万円を記載した支払指示も用していた。
「15歳の、この10万円を何万倍にもして返すときました。実際には、100倍でしかありませんが……」
「おさんは、あの頃から数字に真面目だな」
佐藤さんは笑い、それから支払指示を私の方へ戻した。
「私は貸したつもりはない。あの、必だったのは、の計算じゃなかった。子供がでお母さんを見送らなくて済むことだった」
「でも、受け取ったままでは……」
「なら、私ではなく、次に必なへ返してくれ」
佐藤さんは古い封筒を引き寄せ、ふたたび「1万円×10」と鉛でなぞった。そして、1000万円を最初の資に、1最10万円を無償で届ける緊急支援制度を作ろうと提案した。返済を求めるのではなく、活と学びを放すの「最の10万円」を届ける制度だ。
「これなら、100に渡せます」
私が言うと、佐藤さんは「その数え方なら格だ」と笑った。
制度がきしたのは、1かだった。支援先は私たちだけで決めず、弁護士と自治体の支援員に確認を依頼した。最初に選ばれたのは、母親の入院で学を諦め、働こうとしていた15歳のだった。受験料と制代に充てられる10万円は、しい茶の封筒に入れられた。
佐藤さんは表に「1万円×10」とき、裏には言だけ添えた。
「返すのは、今じゃない。いつか誰かを助けられるでいい」
支援員から、が封筒を両で抱え「へきます」と答えたと聞いた、私は15歳の自分がようやくのからちがったようにじた。
翌週、私たち3は母の墓へ向かった。佐藤さんはいと缶入りの茶を供え、墓ので「君は、ちゃんとにったよ」と報告した。
私はずっと言えなかった言葉を、ようやくにした。
「母さん。あの10万円、返せたよ」
が吹き、のりが静かに広がった。世のには、奪う側と奪われる側しかいないのではない。差しすと、受け取ったものを次へ渡すもいる。
空だった封筒は、17かけて100へ届く封筒に変わった。