"毎日パンを持ち帰る少女" 第10話
町にはテレビのアンテナが増え、気蔵庫や洗濯を買う庭も珍しくなくなり始めていた。駅にはしい商が建ち、パンの先には菓子パンまで並ぶようになっている。
子どもたちにとって、コッペパンは特別なべ物ではなかった。
「またパンか」と文句を言うさえあった。
それは悪いことではない。
むしろ、そう言えるようになったこと自体が、ひとつの代の変化だった。
になっても、美はもうパンを持ち帰らなかった。
正蔵も聞かなくなった。
「今はパンだったか」
「もるのか」
「本当に全員分あるのか」
そんな質問は消えていった。
代わりに正蔵は々、美へ聞いた。
「今は何だった」
「カレー」
「学でカレーまでるのか」
「るよ」
「贅沢だな」
「おじいちゃんもべたい?」
「別に」
そう答えながら、正蔵はし嬉しそうだった。
あるの、美がから帰ると、正蔵は庭でを切っていた。
「おじいちゃん」
「何だ」
「今ね、パン余ったんだって」
正蔵のが止まった。
「休みがかったから」
「そうか」
「先たちで分けたって」
「そうか」
以なら「もったいない」とったかもしれない。
しかし正蔵はそれ以何も言わなかった。
美はランドセルを背負ったまま祖父の隣へった。
「おじいちゃん」
「何だよ」
「昔より今の方がいい?」
正蔵は鋸を置いた。
「何でそんなこと聞く」
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「だってに、私がいい代にまれたって言ったでしょう」
正蔵はしばらく考えていた。
「昔が全部悪かったわけじゃない」
「うん」
「今が全部いいわけでもない」
「うん」
「でもな」
正蔵は孫のへを置いた。
「子どもが腹を空かせなくていい代は、いい代だ」
美は笑った。
正蔵も笑った。
そののから、女が毎学から持ち帰っていた半分のコッペパン。
同級たちは、それを貧しさの証拠だとった。
教師も最初は、庭に何か事があるのではないかと疑った。
けれど本当は逆だった。
あのパンは、貧しさを示すものではなかった。
戦争と戦の飢えをるの老にとって、それは「豊かになった」という言葉よりも確かなものだった。
昨もあった。
今もある。
そして、も子どもたちに配られる。
その事実を確かめるために、正蔵は毎、孫のパンを眺めていた。
自分が5歳の娘へべさせる物を探し、の夜を歩き回った代は終わったのだと、ではなく目で納得するために。
やがて証拠は必なくなった。
老がようやく信じられたからだった。
自分の孫がきるこの代では、学へけば昼ご飯がある。
親の懐具が違っても、同じ教の子どもたちへ同じパンが配られる。
そしてになれば、またしいが作られる。
あの、茶箪笥のでくなっていたコッペパンは、誰かの空腹を満たすために置かれていたのではない。
それは、過のに取り残されていたの老へ、
「もう、あのではない」
としずつ教えるための、さな証拠だったのである。