"義母に「車が狭いから、あなたは留守番ね」と置いていかれた私" 第7話
そのをりたいとはわなかった。親族会議で証拠を示し、浩司が自分の為の責任を負った点で、私の反撃は終わっていた。
の解体が始まったのは、その翌週だった。父が1本ずつ組みげた柱が倒される音を聞く勇気はなく、そのも私はしい部で待っていた。
夕方、森田さんから話が入った。
「無事に終わったよ。柱や梁は状態がよかったから、廃材にはしなかった。りいの務が引き取り、別ので使ってくれるそうだ」
父が選んだ材が、今度は見らぬ族の暮らしを支える。その話を聞くと、胸の奥に残っていた痛みがしだけほどけた。
数、森田さんはさな包みを持って私の部を訪ねた。に入っていたのは、黒柱から切り取った方形の片だった。表面には、父が刻んだ最の文字が残っている。
「由美子、18歳」
「勝に残してしまったけど、迷惑だったかな」
「いいえ。ありがとうございます」
私は片を両で受け取った。を売ったことに悔はない。それでも父とのが形を変えて戻ってきたことが、たまらなく嬉しかった。
売却代の5800万円から諸費用を差し引いた額は、私名義の座へ振り込まれた。誰かの見栄やとの旅に使われることはなく、これからのを自分で選ぶためのおである。
広告
私は駅くのさな図館で、週4の仕事を始めた。本の修理や貸業務は目つ仕事ではないが、誰かの顔を読みながら帰宅を気にする必はない。仕事を終えれば、静かな部に自分のためのかりがともっている。
休には、ベランダでさな松の盆栽を育てた。父の剪定鋏は錆を落として研ぎ直すと、今もよく切れた。ある朝、伸びた枝をえて鉢の向きを変えると、柔らかなが若い葉へ差し込んだ。
鉢のには、森田さんが届けてくれた黒柱の片を置いている。
「お父さん、今度こそ切に育てるね」
台所へ戻り、分の噌汁を温めた。あのでは、子と浩司がべ終えたあと、鍋底に残ったたい噌汁をむことが何度もあった。今、卓に置いた椀からはい湯気がち、私の好きな濃さの噌のりがする。
父は、は私のなのだから、誰にも慮せず好きなようにきろと言っていた。私はを守ることばかり考え、その言葉のを15取り違えていたのだ。
父が残した最の財産は、5800万円のでも、派なでもない。自分のを誰かにけ渡してはいけないと、最まで私に伝えてくれたことだった。
温かい噌汁をゆっくりに運び、窓のを見た。旅へ連れていってもらえず、玄関先でを振ったあの朝は、もうい過になっている。
あの、留守番を命じられた私は、15ぶりに自分のへ帰ってきたのだ。