"退職祝いは「孫の勤務表」" 第9話
今回はで予定表を囲み、使える制度と、それぞれができる曜を確認した。麻は民学童の費用を調べ、直は勤務の変更を司へ相談した。僕は曜、久美子はに度の曜だけ迎えられると伝えた。
空のは、送迎支援と所の償サービスを組みわせた。はかかったが、誰かが無償で毎待するより、活は定した。
「族なのに、おを払ってに頼むのは寂しい気がしてた」
麻が言った。
「おを払わない相には、謝だけで何度でも頼めるとっていたのかもしれない」
償サービスだからすべて正しいわけではない。急な発や災害には族がく。ただ、常のをだけで埋め続ければ、誰かのが見えなくなる。
、僕は軽い筋梗塞で入院した。幸い処置がく、週で退院できたが、医師からしばらく無理をしないよう言われた。
麻はすぐ、曜の迎えを自分たちで調すると伝えた。久美子も、僕の世話を全部引き受けるとは言わず、訪問護や配について相談した。
「族なんだから、私が全部やる」と誰も言わなかった。
最初はし寂しかった。倒れたくらい、族が自分をに集まってほしい気持ちがあった。しかし、麻は毎い話をくれ、結菜は学でいたを持ってきた。
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直は買い物をし、頼んだ物だけ蔵庫へ入れた。
助けることと、相の活を奪うことは違う。僕が娘夫婦へ求めた境界を、今度は自分が受け取る側になってった。
退院した最初の週、久美子は僕の薬を曜別のケースへ入れ、事の塩分を細かく管理し始めた。僕が散歩へようとすると、医師の許がるまででは駄目だと言った。
配されることはありがたかった。しかし、何に起き、何をべ、どこまで歩くかまで決められると、退職のに勤務表を渡されたと似た息苦しさをじた。
「助けてほしいことは僕から頼む。全部決めないでくれ」
久美子は腹をてた。
「倒れたに任せて、また何かあったらどうするの」
僕たちは次の診察へ緒にき、医師へ具体に確認した。で歩ける距、事で避けるもの、入浴、資料館へ戻る期。久美子のと、僕が自分でできることを分けた。
散歩は最初の週だけ緒にき、そのは位置報を共せず、携帯話を持つ。薬は僕が管理し、み忘れが続いただけ相談する。久美子は完全にはしなかったが、僕を患者という役割だけで扱わなくなった。
逆に僕も、自分の体だからをすなとは言わなかった。倒れれば族の活にも響する。自分で決めることには、必な報を共する責任もあるとった。
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退院、結菜が言った。
「おじいちゃん、曜はお休みしていいよ。私、で学童から帰れるようになったら、また見にこう」
歳になった彼女は、僕がいなければ帰れない子どもではなくなりつつある。その成をびながら、自分の役割が減る寂しさもじた。
「おじいちゃんの仕事、なくなっちゃうな」
冗談で言うと、結菜は首をかしげた。
「おじいちゃんは、おじいちゃんだから、仕事じゃないよ」
退職の、娘婿から渡された勤務表をいした。
族ので必とされることは嬉しい。だが、必な作業がなくなったら関係まで終わるのなら、それは族ではなく雇用にい。
僕は曜の迎えを回に減らし、その代わり結菜とに度、好きな駅を撮りにく約束をした。送迎ではなく、緒に過ごす予定として。
退職から、僕の斎には今も、結菜が描いた《またすいようび》の絵が置かれている。段ボール箱へ入れられた本は棚へ戻し、写真を理するためのきなモニターも置いた。
娘夫婦が使った物置は、久美子と共の収納へ戻った。結菜の机だけは処分せず、泊まりに来たに使っている。
直は設備会社で働き続け、主任になった。職より収入はまだないが、にいるは増えた。失業を隠したかについて、麻が完全に許したわけではない。
与細やきな支は夫婦で確認し、話したくないも期限を決めて話すようにしている。