みかん小説
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"母の認知症は芝居だった" 第1話

私の名かり。30歳。

品メーカーの商品発部で働いている私は、同代の友たちから「しは仕事以のことも考えたら」と何度も言われてきた。けれど結婚の予定もなければ、休をすべて費やすほどになれる趣もない私にとって、仕事は単なる活の段ではなく、毎ませてくれるきな楽しみだった。

企画会議で何度も却された商品を作り直し、試作りを細かく調し、産できる形へ落とし込んでいく。そうして何かもかけて完成させた商品がスーパーの棚に並び、らない誰かがに取っている姿を見る瞬が、私はたまらなく好きだった。

仕事筋でり続けた結果、料もしずつがった。さらに来には課への昇が決まっており、そのらせを受けた直には予していたよりい賞与まで振り込まれた。

通帳を見ながら、私はわず頬を緩めた。

「せっかくだし、お母さんに何か買おうかな」

自分のために欲しいものは特にいつかなかった。

真っ先に顔が浮かんだのは、れた故郷で暮らしている母だった。

母は63歳。父がくなってからも方のさな町に残り、実で暮らしていた。

私の実は、もともと父と母が2で切り盛りしていたさな居酒だった。

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でも繁華でもない角にあり、派ではなかったが、父が厨ち、母が常連客と笑いながら話している景は、私にとって子どもの頃から変わらない景だった。

父が数くなったも、母は規模を縮しながらを続けた。客席を減らし、夜遅くまで営業することもやめたが、「く来てくれているがいるから」と言い、簡単には簾をろそうとしなかった。

そんな母の活がきく変わったのは、交通事故に巻き込まれただった。

母が運転していたが事故に遭ったと連絡を受けた、私は会社から病院へ向かう途、何度も最悪の像をした。幸い命に別状はなかったものの、医師から告げられた結果は決して軽いものではなかった。

母はい障害が残り、その子で活しなければならなくなった。

退院活をどうするのか。

方で働く私は、仕事を続けながら毎母の世話をすることができない。かといって、自由な母を古い実に1残すわけにもいかなかった。

そんな、母との同居を申してくれたのが兄夫婦だった。

「俺たちが実に入るよ」

兄からそう言われた、私はわず何度も聞き返した。

「本当にいいの?」

「ああ。母さんを1にしておけないだろ」

兄の妻であるまやさんも、で穏やかに言ってくれた。

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かりちゃんは仕事があるんだから、無理して戻ってこなくていいのよ。お義母さんのことは私たちが見るから」

さらに兄夫婦は、母が続けていた居酒まで引き継いでくれるという。

申し訳なさと堵が入り混じり、私はしばらく何も言えなかった。

「お母さんのこと、よろしくね。私にできることがあったら慮なく言って」

すると兄は、同居するために実を改装したいと話した。

古いなので段差がく、子では活しにくい。兄夫婦が加われば3で暮らすことになるため、取りもし変えたいらしい。

「悪いんだけど、改装費だけ伝ってくれないか」

私はほとんど迷わなかった。

特別おのかかる趣もなく、働き続けたおかげで貯はある。自分が母の介護を引き受けられない以、せめて銭面くらいは責任を負いたかった。

「もちろんすよ。本当なら私もお母さんを見ないといけないのに、ごめんね」

「いいってことよ」

兄は冗談っぽく笑った。

「おは好きな仕事でじゃんじゃん稼げばいいさ」

その言葉に救われた気がした。

私はまとまった改装費を兄へ渡し、母と兄夫婦がしでも適に暮らせるよう願った。

それからしばらくして、私は正式に課へ昇した。

ばしいことだったが、責任が増えると同に残業も激増した。

商品の発売などは終を逃し、そのまま会社の仮眠で夜をかすことさえあった。

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