"白いハンカチの約束" 第2話
娘は埼玉へ嫁いでいる。
毎週のように連絡は来たものの、当はまだ各庭に話があるのが当たりではなかった。トメの部にも話はなく、娘が連絡を取るには団の管理くの話を借りて呼びしてもらうか、あらかじめを決めて公衆話へ向かう必があった。
団の入くには赤い公衆話が1台置かれていた。
急ぎの用があれば、トメは財布の銭を確かめ、階段を3階からりてそこまで歩いた。のも同じで、傘を差しながら話ボックスのへ入り、貨を握って娘の番号を回した。
若いにはした距ではなかったが、70歳を過ぎたトメにとっては、体調の悪いに階段を往復するだけでも骨が折れた。
松田夫婦とトメは、親戚でも古くからの友でもなかった。
この団に入居してからりっただけである。
夕方、買い物帰りに顔をわせれば、
「今はがたいですね」
「本当に。洗濯物が乾かなくて」
と話す。
百で根の値段ががっていれば、
「またくなりましたね」
「今は何でもいですよ」
と苦笑する。
それくらいの関係だった。
互いのへ頻繁にがることもなかったし、緒に事をすることもほとんどない。が漬物をしく作ったに分けることがあり、トメが田舎から届いた芋を数個持ってくることがある程度だった。
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それでも、トメには毎朝欠かさない習慣があった。
朝6半を過ぎると、さな台所で湯を沸かす。
急須に茶葉を入れ、湯みへ注ぐ。
それを両で包むように持ち、窓際へ置いたさな座布団に腰をろす。
7しだった。
トメは計を見るでもなく、ほとんど同じ刻に窓のへ目を向けた。
向かいの3号棟、4階。
まだ何もない。
しばらくすると、窓がく。
さくの姿が現れる。
そしていものがふわりと広がり、物干し竿の端に留められる。
トメの顔から、わずかに力が抜ける。
「今もたね」
誰に聞かせるでもなく、そうつぶやく。
いハンカチが朝のを受け、ゆっくり揺れている。
それを確かめると、トメは残っていた茶をみ、障子を閉めた。
そこから彼女のが始まる。
布団を畳む。
さな仏壇にを供える。
夫の写真へ向かって、
「今も気悪いよ」
などと話しかける。
買い物があるは商へき、何もないは部で繕い物をした。
ところがトメ自にも、もうつ朝の仕事があった。
8くになると、押し入れから古い茶の座布団を1枚取りす。
何も使ったため端がし擦れ、表面のもくなっていた。
それをベランダへ持っていき、欄干の内側へ干す。
太陽に当てるためでも、湿気を取るためでもない。
したら、昼には引っ込める。
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のには濡れないよう、根のかかる所へ置く。
毎、ほぼ同じだった。
もちろん、正男たちはその座布団には気づいていなかった。
子どもたちの目には、いハンカチの方がずっと目ったからである。
けれど3号棟4階のは、朝の事を終えると必ず5号棟を見た。
「たわ」
台所で聞を読んでいた清が顔をげる。
「座布団か」
「ええ」
「なら今も丈夫だな」
それだけだった。
2はそれ以、トメのことを話さない。
いハンカチ。
茶い座布団。
誰にも説していないさな約束が、団のベランダとベランダのを毎朝静かにき来していた。
その約束が始まったのは、昭46のだった。
そのの京は、朝から蒸し暑いが続いていた。団のコンクリートはのを溜め込み、が暮れても部のからなかなか暑さが抜けなかった。
まだ今のように各庭へが普及していた代ではない。
窓をけてものないは、扇を回すしかなかった。
トメは暑さにい方ではなかったが、それでもに頼るのを嫌った。
「寄り扱いされるのが番嫌だよ」
以、にそう笑ったことがある。
そのも朝から気温ががっていた。
トメはめに洗濯を済ませ、昼になるに買い物へこうとっていた。ところが台所にった、急に目のが暗くなった。
流し台へをついた。
「おかしいね……」
し座れば治るだろうとった。
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