"売らなかった紙" 第3話
澄はようやく販売するのかとった。
しかし、源蔵が始めたことはまったく違っていた。
彼はトイレットペーパーを包ずつ取りすと、帳からさな片と鉛を持ってきた。そこへ名をき、包ずつ包装の隙へ挟んでいった。
「吉田しげさん」
次のには「田辺」といた。その次には「さん」、さらに「医院」と続き、澄はようやく夫が何をしようとしているのか分かりかけた。
「これ……配るの?」
「売りにくんや」
「誰に?」
「まで来られへんにや」
源蔵はそう言うと、黙々と名をき続けた。
のでは11のたいが吹き始めていた。
丸福商からを本入ったところに、吉田しげという78歳の女性がで暮らしていた。数に転んで股関節を痛めて以来、杖がなければく歩けず、商へ来るのも週に度がやっとだった。以は毎朝のようにへ顔をしていたが、この半ほどは澄が噌や醤油を届けることも増えていた。
「吉田さん、もうなかったやろ」
源蔵はトイレットペーパーを自転の荷台へ積みながら言った。澄は驚いて、「そんなこと覚えてたの?」と尋ねたが、源蔵は紐を締め直しながら「あの、先週言うてたやろ」と答えた。
澄には記憶がなかった。毎何もの客と話していれば、誰が何を買い、どんな愚痴をこぼしたかまでつつ覚えていられない。
広告
ところが源蔵は無な割に、そういう話だけは妙によく覚えていた。
次に名をいた田辺では、70代の妻が寝たきりの夫を介護していた。夫婦にはれて暮らす息子がいたが、仕事の都で頻繁には帰ってこられず、用品を買うのも所のに頼ることがかった。買いだめの列ができていると聞いても、妻が何も先にてるはずがなかった。
には、2かに赤ん坊がまれたばかりだった。若い夫は鉄所で残業が続き、妻は慣れない育児の最で、乳児を抱えて蛇の列へ並ぶ余裕などない。そのもの以に、から自由にられないことを源蔵は気にしていた。
「それから医院や」
「医院にも?」
「入院してるがおるし、寄りも来る。あそこが困ったら、町全体が困る」
丸福商から歩いて10分ほどのところに、さな医院があった。診察がつと病が数しかない医院だったが、商の々にとっては邪から怪まで何でも相談できるな所である。最は製品の納入が定になり、院の妻が何軒ものへ問いわせているという話を、源蔵は患者から聞いていた。
「でも、それなら昼に『必なへ配ります』って言えばよかったやないの」
澄が尋ねると、源蔵は自転の輪を確かめながら首を振った。
広告
「誰が本当に困ってるか、先で決められるか?」
「それは……」
「『うちも困ってる』『うちの方が先や』って始まる。そんなもん、誰が線引きするんや」
源蔵は戦から終戦直の混乱をっていた。だった頃、配のになるとたちが列を作り、ほんのしの料を巡って喧嘩になるのを見たことがある。裕福だったも貧しかったも、腹が減れば皆同じ顔になり、誰かがつく取れば、そのろの誰かの分が消えた。
だから源蔵には、品物がないののがしだけ分かっていた。
悪いだから奪うのではない。
怖いから。
取る。
族を。
守りたいから。
つ。
く持つ。
その気持ちが。
百集まれば。
本当に。
りなくなる。
ただし、源蔵はそれをで説教するような男ではなかった。買いだめにる主婦を「浅ましい」と責める気もなく、自分だってに孫がいれば同じことをしたかもしれないとっている。だからこそ、昼の客を正そうとするのではなく、主として自分にできる方法を選んだ。
午7半、源蔵はの着を羽織った。自転の籠にも商品を入れ、荷台の箱が落ちないよう古いゴム紐を何にも巻いた。
「私もこうか?」
澄が言うと、源蔵は「におってくれ」と答えた。
「話鳴るかもしれん」
「まだ来るとう?」
「来るやろ」
源蔵の予通り、シャッターを閉めたも黒話は鳴った。
方、源蔵はたい夜を自転でり始めた。