みかん小説
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"消えた託児代7万円" 第2話

すべてが変わり始めたのは、達夫の父がくなっただった。

私はゆい、35歳。内の認保育園で保育士として働いている。夫の達夫とは元の幼なじみで、が同じだったが、交際を始めたのはを卒業してからだった。

結婚は駅からさなアパートで暮らし、決して余裕のある活ではなかったものの、私はその毎が好きだった。朝はそれぞれ仕事へき、夜は簡単な夕緒にべ、休には所のスーパーやホームセンターへ買い物にく。特別なことは何もなかったが、自分たちの暮らしを自分たちで決められることがよかった。

その活が変わったのは、達夫の父が急病でくなったことがきっかけだった。葬儀が終わってし経った頃、達夫から「母さんをにするのも配だし、しばらく実で暮らさないか」と相談された。私は迷ったが、義母の子との関係はそれまで悪くなく、夫をくしたばかりのにするのも気になって、半ほどならとって同居を受け入れた。

子は料理が好きで、同居当初はとても穏やかだった。私が保育園から帰ると、「ゆいちゃん、今は煮物を作ったわよ」「お呂先に入っていいわよ」と声をかけてくれ、私も休には掃除や買い物を伝った。

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嫁姑という言葉から像していたような緊張もなく、正直なところ、私はしていた。

そんなある、達夫の妹である奈がクレアを連れて遊びに来た。奈は私より3歳で、資系企業に勤めており、いつ会っても装がっていて話し方にも迷いがない。育児をしながら仕事も続けている姿を見て、私は「こういうを仕事のできる女性というんだろうな」と素直にしていた。

クレアはりが始まる頃だったが、私が抱くとにもすぐ泣き止んだ。職業柄、さな子どもを抱くの姿勢や声のかけ方が自然とについていたため、特別なことをしたつもりはない。それでも奈は嬉しそうに、「ゆいさん、やっぱり保育士なんだね。クレアがこんなにく懐くなんて」と言った。

「子どもは正直だって言うし、ゆいさんが優しいの分かるんだろうね」

そう褒められて、私は単純に嬉しかった。この頃の奈の訪問はに1、2回程度で、子も孫に会えるのを楽しみにしていたし、私もクレアと遊ぶことを負担とはじていなかった。

ところが、同居を始めて1かほど経つと、奈が義実へ来る頻度が目に見えて増えていった。に数回だったのが毎週になり、気づけば週に2回、3回とクレアを連れてくるようになった。しかも遊びに来るのではなく、保育園の迎えを済ませた、そのままクレアを置いて自分は別の用事へ向かうが増えていった。

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最初のうちは子も世話をしていた。を温め、絵本を読み、抱っこしてあやしていたが、私が仕事から帰ると「ゆいちゃん、お呂お願いできる?」と頼むようになった。私は役にてるならとく引き受け、呂からがれば着替えをさせ、眠そうなら寝かしつけまで担当した。

それが何度か続くうちに、子はしずつを引くようになった。「私が抱くと泣くのよ。やっぱりゆいちゃんの方がね」と笑い、クレアがリビングでぐずっていても、私が帰宅するまでテレビを見ながら待つようになった。最初は褒め言葉だとっていた「さすが保育士ね」という言葉が、いつのにか「保育士なのだからあなたがやって」というへ変わっていた。

奈の態度も同じだった。「ゆいさんがいると本当に助かる」「プロがにいるって」と笑いながら、迎えに来るしずつ遅くなった。夜8が9になり、9が10になり、「今は遅くなるから泊まらせて」と連絡が来ることも増えた。

クレアはまだ1歳で、夜に目を覚まして泣くことがあった。子は「私は度寝るとなかなか起きられないから」と言い、達夫は翌朝仕事だからと布団からてこない。結局、泣き声を聞いて起きがるのはいつも私だった。

私は暗い廊をクレアを抱いて何度も往復し、背を軽く叩きながら寝かしつけた。

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