"35万円の空冷蔵庫" 第1話
晦の午3。私が掃除用の洗剤やゴミ袋を買いにホームセンターから戻ると、のには自然なほどの静けさが漂っていた。玄関をけて「ただいま」と声をかけても、いつもならすぐ返事をする妻の弓の声が聞こえない。
嫌な予がしてキッチンへ向かった私は、そのでを止めた。型蔵庫の扉がけ放たれ、は信じられないほどきれいに空になっていた。そので弓がにへたり込み、両で顔を覆っていた。
「弓、どうした?」
私が駆け寄ると、弓はゆっくり顔をげた。目は赤く腫れ、唇がさく震えている。
「ごめんね、健さん。私がし目をした隙に……お義母さんと浩司さんが、全部持っていっちゃって」
私は最初、そのを理解できなかった。
「全部って……何を?」
弓は空っぽの蔵庫を見た。
「の材。全部」
は元だった。毎恒例になっている佐藤の親族の会が、今もがでわれることになっていた。親戚だけで20くが集まるため、弓は何週もから準備を続けていた。
特のタラバガニ。A5ランクの松阪牛。老舗料亭から取り寄せた3段のおせち。鮮なウニやイクラ、それに本酒好きの叔父たちのために選んだ希な銘柄の酒。総額は35万円を超えていた。
35万円という数字だけを聞けば、ずいぶん贅沢な正だとうかもしれない。
広告
だが、弓は普段なら10円い卵のために隣町のスーパーへ自転をらせるような女性だった。自分のも化粧品もほとんど買わず、週4のクリーニングのパート代からしずつ貯めたまで今回の準備に使っていた。
理由は、私の母・子だった。
「健も営業部になったんだし、今くらいは奮発してちょうだいね。本の正なんだから、親戚に恥をかかせるようなものは絶対に並べないで」
12に入ってから、母は何度も弓へ話をかけていた。
「お肉は松阪牛。お寿司もスーパーの物なんて駄目よ。おせちもちゃんと名なから取り寄せなさい。男の嫁なんだから、それくらい分かるでしょう?」
私は横で聞きながら、何度も止めた。
「無理するなよ。どうせ集まるのは母さんの兄弟と浩司たちだ。そこまでをかける必はない」
だが弓はいつも穏やかに首を振った。
「いいのよ、健さん。今はお義父さんの7回忌のでもあるでしょう。みんなにんでもらいたいの」
そう言って、弓は何もや百貨を歩き回った。
その材が、つ残らず消えていた。
私はに散らばる発泡スチロールの破片に目を落とした。カニの箱を乱暴に引きずりしたらしく、さな滴が蔵庫のまで続いていた。
「何があった?」
弓は途切れ途切れに話し始めた。
広告
私がをてもなく、母が弟の浩司を連れて突然やってきたという。
「の親戚の集まりだけどね。今は浩司のでやることにしたから」
そう言いながら、母は弓の返事も待たずにがり込み、そのままキッチンへ向かった。
浩司もきなクーラーボックスをいくつも運び込んできた。
「待ってください、お義母さん。それはのために私が用したものです」
弓が蔵庫のにちはだかると、母は呆れたように笑ったらしい。
「あなたが用したってことは、佐藤のおで買ったんでしょう? だったら私がどう使おうが勝じゃない」
「でも、これは私のパート代も……」
「細かいこと言わないの。美穂さんが豪華なお肉とカニをべたいって言うから、向こうで使うことにしたのよ」
弟の妻、美穂。
母に取り入るのがく、何かにつけて弓を見してきた女性だった。
母はさらに言った。
「あんたたちは、適当にカップ麺でもべてなさい」
横にいた浩司も笑っていたという。
「兄貴のところはあるんだから、これくらいいいだろ。義姉さん、サンキューな」
弓が止めても、2は聞かなかった。
カニ。牛肉。おせち。魚介類。酒。パントリーに置いていた菓子や乾物まで、次々とへ積み込んだ。
「ごめんなさい。私、止められなくて……」
弓はまた謝った。
私はその言葉を聞いた瞬、腹の底から何かいものが込みげてくるのをじた。
だが、鳴りはしなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
福嫁の逆転茶屋
江戸の日本橋にある茶屋「泡雪屋」の若旦那・宗介は、店の立て直しのため、評判の商人・泉屋五兵衛の娘を妻に迎えることになる。 宗介が望んでいたのは、江戸でも噂になるほど美しい姉・お花だった。美しい女将がいれば、傾きかけた店にも客が戻る。そう信じていたからだ。 しかし、五兵衛が宗介に差し出したのは、お花ではなく、ふくよかで目立たない妹・福だった。 祝言の日、客たちは陰で笑い、宗介自身も心のどこかで落胆を隠せなかった。だが、福が作る菓子と入れる茶は、少しずつ泡雪屋の空気を変えていく。 派手ではないのに忘れられない味。人の心の奥にしまわれた記憶を呼び起こす菓子。福は、宗介が見落としていた“商いで本当に大切なもの”を静かに見せていく。 やがて泡雪屋は、思いがけない形で評判を取り戻していく。 なぜ、泉屋五兵衛は美しい姉ではなく、福を宗介に嫁がせたのか。 そして若旦那が、かつて落胆した嫁に深く頭を下げることになった理由とは――。嫁姑|夫婦1.9萬字5 7 -
完結第13話
十六歳の毒薬花嫁
江戸中期、奥州郡山の大店・高野家には、余命三月と告げられた若旦那・湊がいた。 歩くこともままならず、医者からは「春までもたぬ」と見放された男。誰も嫁ぎ手など現れないと思われたその家の門を、ある冬の朝、十六歳の娘・凛が一人で叩く。 「三月なら三月、三日なら三日でも構いません」 そう言って自ら若旦那の嫁になった凛だったが、彼女には誰にも明かしていない目的があった。 苦くないはずのない薬。帳簿に増え続ける不自然な数字。井戸へ捨てられた父の形見。 病とされていた若旦那の命、罪人にされた父の名、そして大店に二十一年隠されてきた嘘。 十六歳の娘が嫁いだ本当の理由が明らかになる時、高野家の運命は大きく変わり始める。夫婦2.0萬字5 5 -
完結第14話
銀行にいた偽妻
60歳の斎藤かよ子は、夫・剣一を大阪出張へ送り出したはずだった。 しかし午前11時17分、銀行から一本の電話が入る。 「ご主人が、奥様と同じ名前の若い女性と一緒に来店されています」 その女性は、かよ子の名前を名乗り、住所や生年月日、家族の情報まで正確に答えていた。しかも夫は、その女を自分の妻として銀行に紹介し、かよ子名義の資産に関わる重要な手続きを進めようとしていた。 ただの浮気ではない。夫は、かよ子の服装、癖、署名、人生の記録までも利用し、“もう1人の妻”を作り上げていた。 37年間信じてきた夫が、本当に奪おうとしていたものは財産だけだったのか。 そして、何も知らない妻を演じ続けたかよ子が、最後に銀行で見せた反撃とは――。人生逆転|夫婦2.1萬字5 134 -
完結第10話
消された妻の逆転乾杯
夫の昇進祝いの宴席で、佐木美和は信じられない光景を目にする。 35年間連れ添ってきた夫・孝志が、120人の招待客の前で、若い愛人を「妻です」と紹介したのだ。 本当の妻である美和は、会場の端の席に座らされ、まるで無関係な招待客の一人のように扱われていた。夫からは事前に「今日だけは黙っていろ」と言われていた。 けれど、美和は怒鳴らなかった。 ただ静かにグラスを持ち上げ、夫と愛人に向かって乾杯した。 なぜなら彼女は、17年間にわたって夫が奪い続けてきた功績、不正に使われた経費、そして自分の名前を消された証拠を、すでに会長へ渡していたからだ。 祝福の拍手が響く中、会長がゆっくりと立ち上がる。 「佐木君。今の紹介で、最後の確認が取れた」 その一言で、夫の栄光の夜は、崩壊の始まりへと変わっていく――。夫婦|第二の人生|不倫1.4萬字5 134 -
完結第12話
欠陥品と呼ばれた歌姫
13年前、妹・恵は一枚の置き手紙を残し、夫と幼い娘を捨てて姿を消した。 「愛良はいらない。子どもを産めないお姉ちゃんにでもあげれば?」 傷ついた姪を放っておけず、桃江は妹の元夫・高也とともに、愛良を育てる道を選ぶ。血のつながりではなく、毎日の朝食と小さな約束を積み重ねながら、三人は本当の家族になっていった。 それから13年後。 美容室で桃江は、突然失踪したはずの妹と再会する。昔と変わらず、桃江を見下し、愛良を侮辱する恵。 だが直後、桃江を迎えに来た夫と、制服姿の少女を見た瞬間、妹の顔色が変わる。 彼女が捨てたものは、もう二度と取り戻せない場所にあった――。兄弟姉妹|修羅場1.8萬字5 405 -
完結第14話
身代わり妻の逆転帰還
夫の代わりに罪を被り、2年間刑務所で耐え続けた佐藤由美。 亡き父が残した会社を守るため、そして夫・健一を信じるために、彼女はすべてを背負った。だが出所の日、ようやく帰った家で待っていたのは、姑の平手打ちと、夫から投げつけられた離婚届、そして若い愛人の勝ち誇った笑みだった。 「前科者のくせに、まだうちの息子と暮らす気なの?」 すべてを失ったように見えた由美は、泣き崩れることなく、ただ一本の電話をかける。 刑務所で出会った一人の女性。亡き父が残していた最後の言葉。仏壇の下に隠されたUSBメモリ。 2年前の事件は、本当に由美の罪だったのか。 翌日から、夫と愛人、そして由美を切り捨てた家族の嘘が、静かに崩れ始める――。嫁姑|夫婦2.1萬字5 330 -
完結第10話
「子なし」離婚の大誤算
離婚届に署名した日、木村さゆのお腹には、まだ誰にも知られていない3か月の命があった。 夫・渡辺健二は初恋の女性との再婚に夢中で、離婚協議書には「婚姻中の子なし」と記されていた。さゆは妊娠を告げることなく、静かに名前を書き、夫の前から姿を消す。 それから10年。 さゆは一人で息子・陸を育てながら、写真館「時」を成功させ、母としても写真家としても自分の人生を築いていた。 しかし、陸の卒業式の日、思いがけず健二と再会する。 壇上で花束を渡す陸の顔を見た瞬間、健二は凍りついた。目元、鼻筋、横顔――そこには、10年前に自分が切り捨てたはずの結婚の答えがあった。 失われた10年は、金で取り戻せるのか。 父親を名乗る資格とは何か。 初恋を選んだ男が、初めて自分の過ちと向き合う時、さゆと陸が選ぶ未来とは――。人生逆転|夫婦1.5萬字5 177 -
完結第13話
冷えた雑煮の逆転正月
元日の夜、シンガポール出張から1日早く帰国した佐藤健一は、実家の食卓に妻・弓の席だけがないことに気づく。 暖かい居間では、母と弟が豪華なおせちを囲んで笑っていた。だが弓は、冷え切った台所の隅で、たった1人、冷たい雑煮をすすっていた。 15年間、夫の不在中に何が起きていたのか。 赤切れた手、擦り切れたカーディガン、使わせてもらえないお湯。そして、父が遺したはずの3000万円の預金に残されていた、不可解な出金記録。 健一は怒りを飲み込み、その場では何も言わなかった。 翌朝、妻を呼び出した彼は、ついに決断する。 だが金庫を開けた時、そこにあったのは消えた遺産だけではなかった。弓の名前が書かれた、覚えのない離婚届。そして母と弟が隠していた、さらに深い裏切りの証拠。 元日の冷たい台所から始まった夫婦の反撃は、やがて家族の嘘を一つずつ暴いていく――。嫁姑|夫婦1.9萬字5 3340 -
完結第10話
消えた金づる夫
妻と娘が、妻の浮気相手とハワイ旅行へ出発する朝。 山中敏文は、玄関で笑いながら荷物を確認する2人を黙って見送っていた。妻の裏切りも、娘がそれを知りながら母親の浮気相手と親しくしていたことも、すでにすべて知っていたからだ。 「今日でさようならだな。永遠に帰ってこなくていいぞ」 敏文の言葉を、妻はただの嫉妬だと笑い飛ばす。娘もまた、父を見下すような言葉を残して出ていった。 しかしその日こそ、敏文が何か月もかけて準備してきた“最後の日”だった。 2人がハワイで浮かれている間に、家の中から荷物は消え、生活の土台は静かに崩されていく。妻が当然のように帰るつもりだった場所は、もう以前の家ではなかった。 帰国後、空っぽの部屋で妻が知ることになる真実。 そして、金づるだと思っていた夫が本気で消えた時、彼女たちの人生は一気に崩れ始める――。人生逆転|夫婦|不倫1.5萬字5 3708 -
完結第12話
アクセル細工の報い
深夜1時、森雪穂のスマホに届いた防犯カメラの通知。 ガレージの映像に映っていたのは、夫・翔太だった。彼は周囲を気にしながら、雪穂が祖父から受け継いだ大切な車に何かをしていた。 翌朝、翔太は不自然なほど雪穂を車で外出させようとする。だが雪穂は知らないふりをしたまま、車には乗らなかった。 そんな時、突然やって来た義両親が「今日だけ車を貸してほしい」と言い出す。見栄のために雪穂の車を借りようとする2人を、なぜか翔太だけが必死に止め始めた。 「待ってくれ。その車はやめろ」 昨夜、夫は車に何をしたのか。 そして、義両親がその車に乗った瞬間、翔太の隠していた本性が静かに崩れ始める――。因果応報|夫婦1.8萬字5 4099