みかん小説
本棚

"青いチョーク" 第1話

計が午4を指す頃になると、私は決まってるようになった。買う物がなくてもスーパーへき、借りたい本がなくても図館へ寄り、疲れていなければ商を端から端まで歩いた。目など必ではなかった。ただ、午4から6までの2で過ごさずに済めば、それでよかった。

そのになると、が居の奥くまで入り込んだ。朝のなら目たない器棚の埃や、壁の継ぎ目にできたい染み、テレビ台の裏に落ちた本の輪ゴムまで、夕方のは容赦なく照らした。そして器棚の段目には、夫の夫が使っていた湯呑みが、2とほとんど同じ所に置かれていた。

夫がくなってから2になる。最初の半は、あの湯呑みを見るだけで泣けたし、洗面所に残っていたひげ剃りを見つけたには、そのに座り込んでしまった。それなのに1を過ぎた頃から涙は次第になくなり、その代わり、しみそのものが具になったような気がしていた。

朝起きればそこにある。洗濯物を干していても、夕を作っていても、夜に布団へ入っても、界の端にずっと同じさが置かれている。毎泣くわけではないから、娘に「最どう?」と聞かれれば「普通」と答えるしかなかったが、私にとっての普通とは、しくなくなったというではなかった。

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私は63歳だった。娘の美紀は37歳で、夫の誠と10歳になる息子の直緒に横浜で暮らしている。を乗り継げば1半ほどだから、決してくはないものの、毎週顔をわせるほどくもなかった。

「お母さん、うちに何か泊まりに来ればいいじゃない」と、美紀は何度も言った。けれど私は決まって「そのうちね」と答えた。娘のけば楽しいし、直もよく喋ってくれるが、晩ほど泊まると、自分だけが誰かの活のに置いてもらっているような気持ちになるのだった。

、美紀は私に「何か趣でも始めれば?」と言ったことがある。「絵とか陶芸とか、旅でもいいし」と続ける娘に、私は「絵なんて描けないし、湯呑みならにいっぱいある」と答えた。美紀は呆れた顔で「そういうじゃないの」と言ったが、もちろん私にだっては分かっていた。

ただ、「趣を作る」という言葉がし嫌だった。夫がいなくなって空いた所に、自分で何かしいものを探して詰めなさいと言われているような気がしたからだ。そんなふうに簡単に埋められる穴なら、そもそも2も毎同じ所でち止まったりはしない。

私は決して何もしていないわけではなかった。朝7には起き、噌汁を作り、聞を読み、洗濯をする。度は美容院へくし、所のと会えばち話もするし、の振込にはって通帳も記帳する。

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病院の予約を忘れたこともない。町内会の回覧板もきちんと隣へ回しているし、庭のが伸びれば自分で刈った。誰かから見れば、夫をくしたあとも普通に暮らしを続けている女にしか見えなかっただろう。

それでも午4だけは駄目だった。夕を作るにはく、昼と呼ぶには遅く、仕事をしているたちはまだ帰ってこない。からは学帰りの子どもの声が聞こえ、そのうち軒、また軒と所のかりがついていく。

夫がいた頃、そのには夕ごしらえをしていた。5半頃になると玄関がき、夫は靴を脱ぎながら必ず「今、何?」と聞いた。「まだ帰ってきたばかりでしょう」と私が言うと、「だから聞いてるんだよ」と返す。それを30繰り返していた。

今になれば、なぜ私はあれほど面倒そうに返事をしていたのだろうとう。あるなど、癖で分の噌汁を作ってしまい、鍋に残った量を見て初めて気づいた。わず笑ったが、その笑い声が無の居に妙にきく響き、その翌から私は午4になるるようになった。

3の終わりのある、私はいつもとは反対の方角へ歩いた。所ので、駅側にある古いが取り壊されると聞いたからだった。昭40代に建てられた舎で、児童数の減によって3に別の学と統され、閉もしばらく建物だけが残っていたらしい。

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