"梅の下に眠る不動産王" 第7話
「ありがとうございます」
12、志垣は宇井源郎の戸籍謄本を取り寄せた。
8の捜査資料にも同じ類は入っていた。しかし当は、失踪者のと婚姻関係を確認しただけで、誰もく読んでいなかった。
「宇井源郎。昭2814まれ。形県久保沢」
昭30、宇井へ婿養子として入籍。
志垣は、そのの姓を確認した。
「崎」
8、この1はすでにのにあった。
誰も見ていなかっただけだった。
そこから先をたどるには、久保沢の古い除籍簿が必だった。戦の混乱期に作られたきの記録で、町役から県の担当部署へ照会が回され、をまたいだ。
20042の初め、ようやく県から封筒が届いた。
志垣は資料の机で封を切った。
昭20代の除籍簿の写しだった。にいへ細い字でかれ、所々が変して読みづらい。
志垣は老鏡をかけ、さらに虫鏡を借りてきた。
崎の父親は、昭196にしていた。戦から帰ってこなかったという老の話と致した。
妻の欄のには、2の子供の名が並んでいた。
男、崎清。昭1345まれ。
次男、崎源郎。昭16211まれ。
志垣は2つの名を何度も読み返した。
畑の老がてた2本の指がに浮かんだ。
次男・源郎の欄には赤い線が引かれ、昭231221とかれていた。
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理由は肺炎。
墓に刻まれていた付と同じだった。
久保沢の古い診療記録も調べたが、崎源郎が医師に診てもらった記録はなかった。
理由は町の老たちの記憶に残っていた。
「の坊やは、暮れにをしたんだ」
久保沢のは、が1メートル以積もる。町医者まではのでも1かかり、崎には診療代を払うもなかった。
3が続き、4目の朝、源郎はたくなっていた。
母親はくなった子供を背負い、のを医者まで歩いたという。
志垣は公民館でその話を聞き、湯呑みを持ったままけなかった。
問題は、ここからだった。
1948、崎源郎は7歳でくなった。
では、1927まれとして1995に失踪した宇井源郎は、誰なのか。
志垣は除籍簿を最初から読み直した。
男・崎清の欄のに、からき加えられたとわれる細い文字があった。墨のがわずかに違っている。
「昭243 京都へ転」
その転者の名として記されていたのは、崎源郎だった。
志垣は虫鏡を落としかけた。
見違いではなかった。
きていた男・清の欄に、んだ弟・源郎の名がき込まれている。も、昭13から昭2へとき換えられていた。
11歳のを、22歳の青に変えていた。
1949、戦4。
戸籍事務はまだ混乱していた。
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空襲で類を焼かれた役もあり、方では数の職員がきで記録を管理していた。
齢をげれば働くことができる。
11歳では京で雇ってもらえなくても、22歳ならとして働ける。料配や就労の事もあったのだろう。
久保沢の老の1は、母親についてこう語った。
「坊やがんだ、母親は毎墓ので源郎、源郎と呼んでた。のでもな」
をると決めた、母親は「源郎を置いていけない」と言ったという。
役の職員へ何を頼んだのか、正確なことをる者はもういない。
齢をげてほしいと頼んだのか。
んだ子供の名だけでも緒に京へ連れていきたいと泣いたのか。
結果だけが、のへ残っていた。
19493、11歳の崎清は、22歳の崎源郎として母親と京へた。
それからのは、会社の記録が語っていた。
学へは通っていない。通えなかった。
建築現でを運び、材を担ぎ、11歳の体で22歳の仕事をした。
母親は1955に41歳でくなった。崎源郎はその、を扱うさな会社を経営していた宇井へ婿養子として入り、宇井源郎になった。
志垣は資料係の机へ、集めたを全て並べた。
除籍簿の写し。戸籍謄本。墓の写真。社代慎介の帳。そして会の写真。
崎清という男は、19493にこの世から消えた。
それ以、50く、どこにもしなかった。
していたのは、んだ弟の名を借りた宇井源郎という男だけだった。