"梅の下に眠る不動産王" 第2話
「専属運転を帰し、徒歩で帰宅すると話したそうです」
志垣は老鏡へ目を向けたまま、さく頷いた。
へ逃げるが、常に使う老鏡を置いていくだろうか。何かに巻き込まれたが、みかけの茶と読みかけの聞を、これほどった形で残すだろうか。
その夜、捜査本部が設置された。
最初に考えられたのは、誘拐と代目の事件だった。何しろ、消えたのは産王と呼ばれた男である。
バブルが崩壊し、くの産会社が倒れていくで、宇井所はき残った。き残るためには、誰かとの取引を切り、誰かのを放させ、誰かの担保を取らなければならなかった。
刑事たちは、宇井にみを抱く能性のあるを洗い始めた。
名簿は数のうちに100を超えた。を失った主、借の担保を取られた企業の社、ち退きを迫られた借、取引を打ち切られた請け業者、会社を辞めた元従業員。
若い刑事が分い名簿を持ちげ、疲れた顔で志垣を見た。
「これ、全部当たるんですか?」
志垣は名簿を受け取り、そのさを確かめるように片で支えた。
「1ずつやるしかない。それが俺たちの仕事だ」
だが、待っても待っても代を求する話はかかってこなかった。
3が過ぎ、1週が過ぎ、2週が過ぎた。会社にも自宅にも警察にも、犯を名乗る者からの連絡は1本もなかった。
広告
宇井源郎の失踪は、聞とテレビで連きく報じられた。
「産王、謎の失踪」「バブルのに消えた50棟の男」。夕方の報番組は宇井所の本社から継し、社員が玄関を入りするたびにカメラを向けた。
秘の宮田は、会社をるにはからコートをかぶるようになった。週刊誌には、へ逃した、と暮らしている、裏社会に消されたといった根拠のない記事が並んだ。
しかし志垣には、どの話も現実がじられなかった。
かられなかったのは、あのな会だった。老鏡と聞、そして表面に膜の張ったたい茶。
失踪から4目の夕方、志垣は世田にある宇井の自宅を訪れた。
静かな宅の角に、きな製のがあった。柱は丁寧に磨かれ、その脇には梅のが1本っていた。
3半ばで、いはすでに散り始めていた。
は広かったが、豪邸と呼ぶほど華美ではない。むしろ周囲に建つしい宅の方が、よほど派に見えた。
応対したのは、宇井の妻・静だった。当61歳で、いものの混じった髪をろできちんと結い、背筋を伸ばして座っていた。
志垣はこれまでくの方者の族に会ってきた。取り乱して泣く、鳴る、何も言えず震える。
静は、そのどれにも当てはまらなかった。
「お茶をどうぞ」
広告
湯呑みを差しすは、全く震えていなかった。
志垣はだけ茶をみ、帳をいた。
「奥さん、ご主に最変わった様子はありませんでしたか?」
「いいえ」
「何か悩んでいるようなことは」
「主は、そういうことをにすではありませんでした」
「誰かを恐れている様子は?」
「私がる限りでは、ございません」
静は質問に1つずつ丁寧に、しかしく答えた。嘘をついている様子はない。
それでも志垣には、2のにい障子が1枚てられているような覚があった。向こう側に何かが見えているのに、を伸ばしても触れられない。
「奥さん。ご主は必ず見つけます」
にした直、志垣はそれが刑事の言うべき言葉ではないと気づいた。保証できない約束を、族にしてはならない。
しかし、静は志垣を責めなかった。
しばらく黙った、そばの障子の桟を差し指でそっとなぞった。埃があるかを確かめるような、ゆっくりしたきだった。
「あのは、帰ってこないかもしれません」
夕方のが障子を赤く縁取っていた。
志垣は次の言葉を失った。
静は嘆いていない。泣いてもいない。諦めているのとも違った。
このは何かをっている。
そうったが、そのはそれ以何も聞きせなかった。
4になり、桜が散った。
捜査はくもき詰まり始めていた。
みを持つがすぎるということは、結局、誰も特定できないということだった。