"午後4時の失踪日記" 第7話
健は自分ので姿を消したのではない。
で、何らかの犯罪に巻き込まれた能性が極めてかった。
事件は、失踪事件から殺事件へ再分類された。
捜査チームは10へ増員され、似顔絵と並の写真が全国へ配布された。12ぶりにきした事件として、テレビや聞でも連報じられた。
20108、並は任の事聴取に応じた。
弁護士を伴って警察署へ現れ、19988に浜周辺へ滞していた事実は認めた。しかし、仕事の都でち寄っただけだと主張した。
「佐藤健さんをごじですね」
捜査員が写真を差ししても、並は線を落としたまま答えなかった。
「っているかどうかを聞いています」
「その質問には答えません」
815の午4頃、どこにいたのかも確には説できなかった。
取引先の物と会っていたと主張したが、相の元は確認できず、具体な所も答えなかった。
並は最に、1998の、複数の学とアルバイトの件で会ったことだけを認めた。
しかし、佐藤健という名は覚えていないと言い張った。
検察は、並を殺と詐欺の容疑で起訴した。
201010、方裁判所で第1回公判が始まった。傍聴席には健の両親だけでなく、事件を報でったくの民が詰めかけた。
検察の主張は確だった。
並は収入のアルバイトを餌に健からを受け取り、返や告発を求められたため、815に浜へ呼びした。
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その、へ連れてき、殺害したというものだった。
証拠として、健の記、で発見された血痕、並の宿泊記録、携帯話の基局記録、民宿のや台主の井の証言が提された。
弁護側は、全てが状況証拠に過ぎないと反論した。
記は古品を経由して12に発見されており、そのに改ざんされた能性を否定できない。Kが並であるという直接な記載もなかった。
「跡が本のものであっても、Kが被告をする証にはなりません」
弁護は記を掲げ、裁判官へ訴えた。
「この鞄が12どこにあり、誰のを経たのかさえ分かっていないのです」
古品の岡部も証として呼ばれた。
しかし岡部は、鞄を持ち込んだ男性の顔や氏名を正確には覚えていなかった。弁護側は、別の犯が証拠を並へ結びつけるため、図に鞄をへ持ち込んだ能性もあると主張した。
民宿のは、並に似た男性が815の夜、疲れ切った様子で戻ったと証言した。
だが弁護側は、12の記憶であり、別と取り違えている能性があると追及した。
の血痕も、健がそこで傷を負ったことを示すだけだった。
並がそのにいたことや、並が直接危害を加えたことを証する物証は見つかっていなかった。
裁判が続く、20112、1の齢男性が警察署を訪れた。
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70歳になっていた正という物だった。1998当、浜浴くでをしていたという。
「ニュースを見て、急にいしたことがあります」
は何度も額を拭きながら話し始めた。
1998815の午7頃、岸かられたの入で、2の男性が激しく言い争っているのを見たという。
1は20代半の痩せた若者で、黒いシャツを着ていた。
もう1は40代ほどのスーツ姿の男性で、声を荒らげながら若者を責めてていた。
が説した若者の体格や装は、健とくの点で致していた。
言い争いが目撃された所も、血痕が発見された廃墟にかった。
しかしは、2の顔を確には覚えていなかった。
正確な刻も、会話の内容も分からない。言い争いのに何が起きたのかも見ていなかった。
法廷で証言台へったは、緊張のためか捜査段階よりも曖昧な答えを繰り返した。
「その男性が、ここにいる被告ですか」
弁護に尋ねられると、は並の顔をく見つめた。
「似ているようにはいます。でも、同じだとは断言できません」
その答えによって、証言の価値はきく揺らいだ。
20116、方裁判所は判決を言い渡した。
結果は無罪だった。
裁判所は、血痕が健のものであることや、健が犯罪の被害に遭った能性はいと認めた。