"午後4時の失踪日記" 第4話
同窓会で健の話がても、しい報を共するのではなく、学代のいを語るだけになっていた。
2009、警察署では期未解決事件の理作業がわれた。
10以が経過し、しい掛かりもない佐藤健の事件は、事実の捜査終結にづいていた。
誰もが、真実は砂のへ埋もれたのだとい始めていた。
だが2010、浜町のさな古品で、止まっていたが突然きした。
2010315。
浜町の商業区にある古品で、主の岡部健造は陳列棚の理をしていた。売れ残った品物を奥へ移していると、棚の段から埃をかぶった学用の鞄がてきた。
黒い布は褪せ、角の部分は擦り切れていた。
表面には学のロゴがく残っていたが、特別価値のある品物には見えなかった。岡部は処分するにを確認しようと、固くなったファスナーをゆっくりけた。
から古い学証が滑り落ちた。
岡部は腰を屈めて拾いげ、表面の埃を指で払った。写真には、真面目そうな表をした若い男性が写っていた。
氏名欄には「佐藤健」と記されていた。
発は1996。
その名を見た瞬、岡部のが止まった。
岡部は1998当も浜町で商売をしていた。浴で学が消え、両親が何度もビラを貼り直していたことを覚えていた。
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岡部自、息子を探す輔と美の姿をので見たことがあった。
「まさか……」
岡部は鞄のを机へ広げた。
1998度期の割、数本のボールペン、経営学の専が2冊。そして内側のポケットから、のひらに収まるほどの古びた帳がてきた。
全てが1998のでを止めたようだった。
岡部はすぐに交番へ話をかけた。
当初、警察官は古い遺失物として処理しようとした。しかし「佐藤健」という名を聞くと、話の声が変わった。
過の記録を確認した結果、それが12に失踪した学の所持品である能性がいと判した。
鞄とは、直ちに警察署へ運ばれた。
岡部の証言によれば、その鞄は約2か、男性が複数の古品と緒に持ち込んだものだった。男性はを理した際にてきた品だと説したが、元や連絡先を残していなかった。
に防犯カメラはなく、岡部の記憶も曖昧だった。
40代半から50代半に見え、浜町周辺の民のような話し方をしていた。それ以の特徴をいすことはできなかった。
両親へ連絡が入ったのは、そのの午だった。
「健さんの所持品とわれる鞄が見つかりました」
話を受けた輔は、しばらく返事ができなかった。美も夫の表から何かが起きたと察し、震えるで子の背を掴んだ。
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2はすぐに浜へ向かった。
古品ので警察から古びた鞄を見せられると、美はそので泣き崩れた。
「私が買った鞄です」
健が学へ入学した、通学用として母が贈ったものだった。
鞄の内側には、美が油性ペンでいた名が残っていた。文字はれていたが、母親には自分の跡だとすぐに分かった。
鑑定の結果、鞄からは複数の指紋が検された。
12のにくののを経ており、完全な識別は難しかった。それでも、健の過の所持品から採取したものと致する指紋が部確認された。
だが、最もだったのは指紋ではなかった。
鞄の内ポケットから見つかったさな帳だった。
帳には19983から8まで、健の常が細かな文字でき込まれていた。講義や就職活、友との会話、両親へのいが率直に綴られていた。
そして7旬頃から、内容がきく変わっていた。
特定の物とのに、刻な問題を抱えていたことが記されていたのだ。
名はかれていなかった。
代わりに、その物は「K」という文字で表されていた。
718の欄には、い文が残されていた。
〈Kとの約束が配だ〉
725には、さらに踏み込んだ内容がかれていた。
〈の問題でKと刻な話をした。このままではいけない。関係を断ち切るのも難しい状況だ〉
8に入ると、文字にはらかな焦りが表れていた。
〈両親に話すこともできない。友に助けを求めることも難しい。