"午後4時の失踪日記" 第2話
健の両親へ連絡が入ったのは、失踪翌の午だった。
京都内でさな文具を営んでいた父の輔と母の美は、をに任せると、ほとんど何も持たずに浜へ向かった。移も、輔は何度も警察へ話をかけたが、しい報は得られなかった。
浴へ到着した、両親のにはと変わらないの景が広がっていた。
族連れがパラソルので事をし、若者たちは笑いながらへび込んでいる。そので、自分たちの1息子だけが跡形もなく消えていた。
「ここです」
友の1が、健が座っていたという所を指差した。
しかし、そこには何も残っていなかった。砂にはしい跡が幾にもなり、波に濡れた部分は平らにならされていた。
母の美はそのに膝をつき、両で砂を掴んだ。
「健……」
息子の名を呼んでも、聞こえてくるのは波の音だけだった。
警察はと岸周辺を捜索した。保関係者にも協力を求め、沖へ流された能性を考えて範囲を広げたが、健らしき物は見つからなかった。
当の波のさは0.5mから1m程度で、比較穏やかだった。事故の能性を完全には否定できなかったものの、友たちは誰も健がへ入る姿を見ていなかった。
「健は、午ずっとにづいていません」
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同していた友は、警察官の質問に何度も同じ答えを返した。
「を濡らすことさえ嫌がっていました。自分から泳ぎにくとはえません」
残された所持品も、事故や争いを示すものではなかった。
運靴はを揃えて置かれ、タオルにも乱れはない。専には栞が挟まれたままで、最にいていたページには講義内容を理したいメモが残されていた。
財布や学の学証が入った鞄は見つからなかった。
健は靴を脱いだ状態で、その鞄だけを持って移した能性があった。しかし、い砂浜を裸で歩けば目つはずなのに、その姿を見たという証言はなかった。
警察はの、堂、売、シャワーなどを回り、健の写真を見せた。
しかし、数千が訪れた繁忙期の1だった。員たちは忙しさに追われ、特定の若者の顔を記憶していなかった。
浴の入には監カメラが1台設置されていたが、映像は粗く、健がいた所からもれていた。の顔を判別することは難しく、捜査にはほとんど役たなかった。
817付の捜査記録には、最に目撃された所の周辺で複数の跡が確認されたとかれていた。
だが、それが健のものなのか、の浴客のものなのかを判断することはできなかった。現保がわれなかったことで、失踪直にしたはずの掛かりは永久に失われていた。
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1週が過ぎると、警察は事故だけでなく、自発に姿を消した能性も検討し始めた。
族や友にらせず、別の所へ移したのではないか。就職活や学活に悩み、衝に全てを捨てたのではないかという見方だった。
両親は、その説を受け入れられなかった。
「健は、黙って族を捨てるような子ではありません」
父の輔は机へ両をつき、捜査員の顔を見た。
「何かに巻き込まれたんです。もう度、最初から調べてください」
しかし警察にも、捜査をめる材料がなかった。
失踪から1週、両親は自分たちで捜索を始めた。健の証写真と失踪の装、連絡先を載せたA4サイズのビラを作り、浴の入やバス、商の掲示板へ貼って回った。
差しと潮に晒されたビラは、すぐに褪せた。
がれば破れ、しい広告がから貼られることもあった。夫婦はその度に浜へを運び、古いビラを剥がしてしいものへ交換した。
県内の遺失物センターにも何度も通った。
息子の鞄や学証、の部でも届けられていないか。量の保管品を確認するたびに期待したが、健の所持品は1つも見つからなかった。
199810と1999、夫婦は聞の社会面にさな広告をした。
失踪の経緯と族写真を掲載し、報提供を求めた。
数件の話は入ったが、どれも見違いや別の報だった。