"消えた仕送り720万円" 第2話
もっとも、その穏やかさは、私が波をてないように耐え続けた結果にすぎなかったのかもしれない。
私たちのには、信吾の母である蓮子が同居していた。
80歳になる義母は、では品で物腰の柔らかい老婦として通っている。しかし嫁である私への態度は、結婚当初から貫してたかった。
「富代さん、お茶がぬるいわ。何度言ったら分かるの?」
朝の卓で、義母は湯みにをつけるなり、ため息交じりに言った。
急須に触れてみれば、分に温かいことはのひらの覚で分かる。それでも反論したところで、状況がよくなることはない。
30の経験が、それを私に教えていた。
「申し訳ありません。すぐに入れ直しますね」
私が台所につと、背に義母の声が追いかけてきた。
「本当に気が利かないったら。うちの信吾がこんな嫁をもらったのが、そもそもの違いだったのよ」
聞こえないふりをしてやり過ごす。それが、いつのにか私の課になっていた。
信吾は母親の言葉を聞いても、聞から顔をげなかった。コーヒーをすする音だけが卓に響いている。
結婚当初、私が義母の態度について訴えた、信吾は度だけこう言った。
「母さんもだから、しくらい目に見てくれ」
それきりだった。
義母の事の好みを覚え、信吾の晩酌の支度を欠かさず、掃除も洗濯も完璧にこなしてきたつもりだ。
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それでも義母のから謝の言葉がたことは、30で度もなかった。
には、もう1頻繁に顔をすがいた。
信吾の姉、宮崎敏である。
60歳の敏は、数に婚してから実に入り浸るようになった。仕事を探していると言いながら、実際には続きせず、がなくなるたびに義母を頼った。
「お母さん、今ちょっと厳しくて。またしだけ助けてもらえないかしら」
玄関先で甘えるような声をす敏を見るのは、珍しいことではない。
義母は決まって財布をき、数枚の幣を娘のに握らせた。
「仕方ないわね。敏は体がいんだから」
その、敏が帰ると、義母は必ず私に矛先を向けた。
「富代さん、あなたももっとにおを入れなさいよ。パート代を自分の懐ばかりに入れて」
私のパート代は決してくない。
それでも私は、そのから毎5万円を実の母に送っていた。
母は父にく先たれ、清掃員として働きながら私を育ててくれた。今はだけで、さなアパートに1で暮らしている。
母への仕送りだけは、何を言われても譲れなかった。
12、母に送したいと信吾に相談すると、彼はすぐに座番号をいたメモを渡してくれた。
「お義母さんの座、俺が調べておいたから。ここに振り込めばいい」
母はの話が苦だから、自分からは座番号を言いしにくいのだと、信吾は説した。
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当の私は、その気遣いをありがたいとった。
それ以来、毎25に5万円を振り込んできた。振り込みのたびに、今も無事に届きますようにとので願うのが習慣になっていた。
母は話で度も「仕送りをありがとう」と言わなかった。
けれど、照れで素直に謝を伝えるのが苦なのだとっていた。
母のアパートから帰った夜、私は押し入れの奥にしまっていた振込細を引っ張りした。
12分のの束は、輪ゴムでまとめられ、分く膨らんでいた。
番古い控えをに取る。の端がわずかに黄ばんでいる。
そこに記された名義は、確かに母と同じ福島姓になっていた。
しかし、帰り際に母の通帳を確認してき留めた座番号とは、まるで違っていた。4桁どころか、支名すら致していない。
母が使っている座は、母のむ町の支で設されたものだった。
方、私が12振り込み続けてきた座は、私たち夫婦がむ町の支で作られていた。
それは、違いや勘違いでは説できない違いだった。
毎5万円。1で60万円。
12で、計720万円。
母のためだと信じ、1度も遅れず、額を減らすこともなく送り続けたおが、見らぬ座へ吸い込まれていた。
その、玄関のドアがいた。
「ただいま。今は寒かったな」
信吾が、いつもと変わらない顔で帰ってきた。