"藤蔵は二度生きた" 第8話
最初は兄と姉にだけ打ちけ、両親には言わないでほしいと頼んでいた。
勢の注目を集めることを望んでいたのなら、秘密にする必はなかった。勝郎にとって藤蔵の記憶は、珍しい物語ではなく、自分のに残っているもう1つのだったのである。
藤蔵として母親の涙を見ながら、何度呼びかけても声が届かなかったこと。い髭の老に導かれ、を越えて野のへ来たこと。まれるの父母の会話を聞いていたこと。
勝郎は、それらを特別な教えとして語ったのではない。ただ、自分が見たこと、覚えていることとして話した。
やがて記憶はれ、勝郎は野で普通のとしてきた。世を語ったという評判だけに頼ることなく、に触れ、を編み、籠を戸へ運んだ。
その姿は、まれ変わりが本当であったとしても、しくまれた者にはしいがあることを示しているようだった。藤蔵の記憶を持ちながらも、勝郎は藤蔵としてではなく、勝郎として55の涯を歩いた。
方、藤蔵の母親であったおしづにとって、勝郎との会いがどのようなを持っていたのかは、残されたい記録から像するしかない。くした息子と同じ顔ちを持つが現れ、の秘密を語り、自分を母と呼んだのである。
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それは失った子供が戻ってきたびであると同に、そのがすでに別のの子供であるという、言葉にできない寂しさを伴う再会だったはずだった。
勝郎はおしづのもとへ戻ることはできなかった。野には現の父母がおり、祖母や兄、姉が待っていた。
2つの族は、1のを通して結ばれた。どちらか方が偽物だったのではなく、勝郎のではどちらも自分の族だった。
池田冠もまた、勝郎の話を通じて、くした姫の方に希望を見いだそうとした。娘がどこかで別の名を与えられ、しい両親のもとできているのではないかと考えたのである。
勝郎が現れたことで姫が戻ってきたわけではなかった。それでも、によってすべてが終わるのではないかもしれないといういは、娘を失った父親のを支えた。
平田篤胤は学者として勝郎の言葉を記録し、泉はその物語をへ伝えた。も代も異なる々が、8歳のの記憶を忘れさせまいとき残した。
その結果、田んぼで交わされたさな会話は、200以が過ぎたも失われていない。
1815に野でまれた勝郎が、本当に程久保の藤蔵のまれ変わりだったのか。その答えを、今をきる者が完全に確かめることはできない。
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だが、勝郎というがし、世の族やの記憶を語ったことは、複数の記録のに残されている。信じる者にも疑う者にも、その事実は同じように問いを投げかける。
は、どこから来るのか。
命が終わった、すべての記憶は消えてしまうのか。
そして、幼い子供がまだ教えられていないはずのことを語る、その言葉をはどのように受け止めるべきなのか。
の田んぼで、勝郎は兄と姉に尋ねた。
「まれるに、どこにいたか覚えている?」
乙次郎とは答えられなかった。
おそらく、くのも同じ問いを向けられれば答えられないだろう。
それでも勝郎だけは、自分がどこから来たのかをっていると語った。の向こうにあるさな、母親が泣いていた墓、そして藤蔵という名を、8歳のは確かに覚えていた。
たいが刈り入れの田を渡り、乾いた稲株を揺らしていた。
その、勝郎が何気なくにした言葉は、やがて本で最も広くられるまれ変わりの物語となり、代とを越えて々のもとへ届けられた。
そして今も、程久保と野を隔てるの辺りには、かつて2つのを覚えていたの跡が、静かに残されている。