"土俵下の12年" 第9話
正雄は畳のに座り、息子の布団をじっと見つめた。
布団はきちんと畳まれていた。枕元には、子が送ったが残っていた。封筒の角は何度も読まれたように擦れていた。
正雄はその封筒をに取り、しばらく黙っていた。
息子はここで何をっていたのか。
苦しかったのか。
帰りたかったのか。
父である自分は、それに気づけなかったのか。
正雄は唇を固く結び、を元の所に戻した。
「帰るぞ」
子にそう告げる声は、かすれていた。
2は川県の故郷へ戻った。
港に戻ると、いつものように波の音がしていた。漁は並び、潮は々のを通り抜けていく。の景は何ひとつ変わっていないように見えた。
けれど、林のだけは別だった。
岳司の部は、そのままにされた。
子は布団を干し、机を拭き、類を畳み直した。まるで息子が帰ってくるかのように、部をえ続けた。
「いつ帰ってきてもいいようにしておかないとね」
子はそう言った。
正雄は何も言わなかった。
言えば、泣いてしまいそうだった。
毎朝、子は仏壇のに座った。
本来なら、そこに岳司の位牌はない。息子はんだと決まったわけではない。けれど子は、先祖に向かってをわせるたび、必ず岳司の名を呼んだ。
「岳司、きているなら帰ってきて。お母さんは待っているからね」
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声はさかった。
けれど、その祈りは毎朝欠かされなかった。
正雄は以と同じように、午3に起きてへた。
真っ暗な港でのエンジンをかける、いつも岳司のことをった。まだだった頃、眠そうな顔でに乗り込んできた息子。網を引きげながら、を真っ赤にして笑っていた息子。
「父さん、今は漁だな」
そんな声が、波の音に混じって聞こえる気がした。
正雄は舵を握り、沖へ向かった。
平線がしずつるくなり、がに染まり始める。その景を見ながら、正雄は何度も同じ問いを胸ので繰り返した。
岳司は今、どこにいるのか。
きているのか。
それとも。
そこから先は考えたくなかった。
のたちは、最初のうちは林を気遣った。
「何か分かったかい」
「きっと帰ってくるよ」
「岳司は真面目な子だったから、どこかで頑張っているんだろう」
そんな言葉をかけてくれた。
子はそのたびにさくをげた。
「ありがとうございます」
けれどが経つにつれ、のたちもしずつその話をしなくなっていった。
悪気があったわけではない。
は々をきていかなければならない。漁があり、畑があり、族があり、季節が巡る。方の若者の話は、しずつ過の来事になっていった。
しかし、両親だけは忘れなかった。
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1が過ぎても、2が過ぎても、岳司の部はそのままだった。
子は々、息子のを取りして胸に抱いた。洗い直した布からは、もう息子の匂いなどしなかった。それでも子は目を閉じ、岳司のきな背をいした。
「寒くないかね」
誰もいない部で、子はそう呟いた。
正雄はそれを見ても、何も言えなかった。
自分も同じだったからだ。
へるたび、港へ戻るたび、正雄は息子の姿を探していた。ふいにの戸がいて、「ただいま」と岳司が帰ってくるのではないか。そうってしまう自分がいた。
京の名部では、岳司の失踪はしずつ過になっていった。
親方は表向き、いつも通り稽古を続けた。しい若者が入し、古い力士が引退し、番付は変わっていく。部はき続けた。
しかし、親方のではあのの景が消えなかった。
俵のに倒れた岳司。
流れした血。
かない体。
震える吉田。
そして、自分が選んだ恐ろしい決断。
夜、1になると、親方は々目を閉じた。すると、の部座席に横たわる岳司の姿が浮かんだ。
「すまない」
何度もので謝った。
けれど、真実をにすることはなかった。
言えば、すべてが終わる。
部の名誉も、自分のも、弟子たちの未来も。
親方はそう自分に言い聞かせた。
吉田健も変わった。
以のように、稽古で必以に若い力士を追い詰めることは減った。
声を荒げることはあっても、どこかで線を越えないようにしていた。