"土俵下の12年" 第1話
昭47(1972)。
京・両国にある相撲部から、1の若い力士が突然姿を消した。
名は林岳司。21歳。
川県の能登半島にあるさな漁から京し、相撲の世界にび込んだ若者だった。部の親方からも将来を嘱望され、故郷の両親も、いつか息子がきな俵につを信じていた。
けれど、ある朝、岳司は稽古から消えた。
部には荷物が残っていた。着替えも、も、わずかな所持品も、そのままだった。まるでしへただけのように、活の痕跡だけが残されていた。
両親はそれから12、息子の帰りを待ち続けた。
毎朝、母は仏壇にをわせた。父はへる、無言で息子の名をので呼んだ。どこかできている。きっといつか帰ってくる。そう信じるしかなかった。
しかし昭59(1984)、故郷の古い俵の解体事に、から発見されたものは、誰も予しなかった真実だった。
12、両親が息子の帰りを待っていた、岳司はずっと故郷ののにいた。
なぜ期待の若力士は消えなければならなかったのか。
そして、なぜ彼の骸は、京ではなく故郷の古い俵のに埋められていたのか。
すべては、昭42(1967)、岳司が故郷をれたから始まっていた。
岳司が育ったのは、能登半島の沿いにあるさな漁だった。
本の荒波が岸壁に打ちつけるそのでは、朝がい。
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まだ空が黒いうちから漁のエンジン音が響き、港には魚の匂いと潮が混じっていた。
岳司は、そんなと共に育った。
は180cmく、体は120kgほどあった。の同代のたちと比べても、ひときわきかった。幼い頃から父の漁を伝い、濡れた網を引きげ、魚の入った箱を運び、のたい浜辺を何度も往復した。
特別に体を鍛えていたわけではない。
ただ、々の暮らしそのものが、岳司の体を作っていた。
のたちは、浜で岳司を見るたびに笑って言った。
「岳司はいい体をしてるな」
「相撲取りにでもなれそうだ」
岳司はそのたびに照れくさそうに笑い、首のろをかいた。
「そんな、げさですよ」
そう答えながらも、自分の体がよりきいことは分かっていた。
父の林正雄は、こので40く漁をしてきた男だった。さなを1隻持ち、毎朝3に起きて沖にる。の本は容赦がない。波はく、は刃のようにたい。
それでも正雄は休まなかった。
族を養うため。借を返すため。そして、息子にしでもましな未来を残すため。
母の子は、夫が獲ってきた魚を加し、にろす仕事をしていた。には魚の匂いが染みつき、になるとあかぎれで赤く腫れた。夜には網の修理をし、所の伝いにもた。
岳司は、そんな両親の背を見て育った。
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だから、学を卒業したら父と緒ににるつもりでいた。
漁の仕事は厳しい。体もえる。収入も定しない。それでも岳司は、父とに乗るが嫌いではなかった。
朝まだ暗いうちに港をる。
のエンジン音が静かなに響く。
沖へるにつれ、空のがしずつ変わっていく。
やがて平線から太陽が昇り、面がに染まる。
その景を見るたびに、岳司はった。
このできていくのも、悪くない。
けれど、運命は別のを用していた。
学3の、に1の男が訪れた。
京・両国にある相撲部「名部」の親方、元関・崎親方だった。
崎親方は、方を回り、素質のある若者を探していた。の学の体育教師が、「林岳司という徒がいます」と紹介したのだ。
体育館で岳司を見た親方は、すぐに目を細めた。
きな肩幅。太い腰。漁の仕事で自然に鍛えられた背。
親方は岳司のにち、腕を組んでしばらく黙って見つめた。
岳司は緊張して、わず背筋を伸ばした。
「いい骨格だ」
親方はい声で言った。
「稽古すれば、必ずくなる」
そのの夕方、親方は岳司のを訪ねた。
古い造のの居に、正雄と子、そして岳司が並んで座った。では波の音が聞こえていた。子は緊張した様子でお茶をし、正雄は膝のできなを組んでいた。
親方はゆっくりと話し始めた。
「息子さんには才能があります。