"50年目の沈黙の部屋" 第5話
病院の職員名簿は、県の記録から見つかった。
1960から1979まで、この病院の院を務めていた物がいた。
田賢治医師。
捜査員たちはすぐに彼の現を調べた。
そして、驚くべきことに、田はまだきていた。
92歳。
阪の老ホームに入所していた。
捜査官たちは、すぐに阪へ向かった。
古い院であれば、この暗い物語にを当てることができるかもしれない。吉川という患者を覚えているかもしれない。観察記録のを説できるかもしれない。
そして何より、あの部がなぜ塗り込められたのかをっているかもしれない。
彼らは、閉ざされていた謎がようやく解けるのではないかという期待を胸に、阪へ向かった。
しかし、彼らを待っていたのは、別の壁だった。
吉川の部を50く隠していた壁と同じくらい、たく、く、通り抜けることのできない沈黙の壁だった。
老ホームは、静かで清潔な所だった。
るい廊には観葉植物が置かれ、堂からは器の触れう音が聞こえた。庭にはさな池があり、鯉がゆっくりと泳いでいた。
田賢治は、その庭にいた。
子に座り、池を見つめていた。
92歳の男はなりがっていたが、表は乏しかった。髪は丁寧にえられ、膝のにはい毛布がかけられていた。
捜査官が自己紹介し、福井県の旧精神科病院について尋ねると、田はい沈黙した。
広告
それからゆっくりとを振った。
「もう、昔のことです」
声は細く、言葉を選ぶのにがかかっているようだった。
「福井で病院をやっていたことは覚えています。しかし、細かいことはもう……あまりにもくのが過ぎました。患者もかった」
捜査官は吉川の名をした。
田は目を細めたが、首を振った。
「その名には覚えがありません」
観察記録のコピーを見せると、田はいページを見つめた。
しかし、やがてさく息を吐いた。
「文字がよく読めません。誰の跡かも分からない」
捜査官は、塗り込められた部と、そこで発見された遺骨について説した。
田の表は変わらなかった。
驚きも、しみも、恐怖も見えなかった。
ただ空っぽの目で捜査官たちを見つめ、同じ言葉を繰り返した。
「何も覚えていません」
それ以の収穫はなかった。
本当に老性の記憶障害なのか。
それとも、過の責任から逃れるための巧妙な演技なのか。
捜査官たちは者の能性をじた。
だが、それを証することはできなかった。
彼らは何も得られないまま阪をった。
事件は、再びき詰まったように見えた。
捜査官たちは諦めなかった。
田が話さないのであれば、別の物を探すしかない。
1973に病院で働いていたの職員たちを見つけるのだ。
広告
それは骨の折れる作業だった。
職員名簿は残っていたが、半世紀いが過ぎていた。々は本各へ移り、結婚や転居で姓を変え、くはすでにくなっていた。
捜査員たちは話をかけ、を送り、親族を探し、古い所をたどった。域の役所にも問いわせ、ソーシャルメディアも調べた。
ほとんどの調査は空振りだった。
しかし数週、ようやく1の元護師にたどり着いた。
彼女は1970から1975まで、福井のその精神科病院で働いていた。すでに70歳を超え、隣の川県で静かに暮らしていた。
最初、彼女は話すことを拒んだ。
話の声はかった。
「その所のことは、もういしたくありません」
捜査官はいがった。退職齢にい経験豊富な刑事だった。彼はく迫るのではなく、ゆっくりと言葉を選んだ。
「誰かを罰するためだけではありません。50く忘れられていた男性の名を、もう度戻すためです」
話の向こうで、女性は黙っていた。
刑事は続けた。
「吉川というがいました。彼は誰にも探されず、壁ので見つかりました。彼には、自分の物語を語られる資格があります」
い沈黙の、女性はさな声で言った。
「名は、さないでください」
「約束します」
「匿名なら……話します」
面会はさなカフェでわれた。
元護師は窓際の席に座っていた。
両を膝ので握り、指先が震えていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
10年目のハザード
1999年10月、夜明け前の阪和自動車道に、1台のタクシーがハザードランプを点けたまま残されていた。 運転席は無人。車内に争った跡はなく、鍵も残されたまま。所有者は、大阪・堺で個人タクシーを営む藤村達夫だった。 警察が自宅を訪ねると、妻・安子と娘・真奈美の姿も消えていた。台所には冷めた味噌汁、まな板には切りかけのネギ。家族3人は、夕食の途中で突然この世から切り取られたように姿を消していた。 達夫が最後に乗せた客は誰だったのか。 そして、なぜ一家は財布も通帳も残したまま消えたのか。 10年後、取り壊しが決まった団地の室外機の裏から、1本の古いカセットテープが見つかる。 そこに残されていたのは、達夫が命がけで吹き込んだ、震える声だった――。ミステリー|行方不明1.5萬字5 7 -
完結第15話
土俵下の12年
昭和47年、東京・両国の相撲部屋から、期待の若手力士・林岳司が突然姿を消した。 能登の小さな漁村から上京し、家族の期待を背負って土俵に立っていた21歳の青年。部屋には荷物も手紙も残されたままで、まるで少し外へ出ただけのように、彼の生活だけがそこに残っていた。 両親は息子がどこかで生きていると信じ、12年間待ち続けた。 しかし昭和59年、故郷の古い土俵を解体した時、土の下から思いがけないものが見つかる。 東京で消えたはずの岳司は、なぜ故郷の土俵の下にいたのか。 稽古場で何が起き、誰が12年間も真実を隠し続けたのか。 若き力士の失踪は、故郷の土の中から静かに動き出す――。ミステリー|行方不明2.2萬字5 0 -
完結第13話
消えた娘の38分
2023年、幼稚園から帰る途中だった少女・美緒が、父親の車に乗ったまま姿を消した。 山道で事故が起き、父は記憶を失ったと証言。警察は周辺を捜索したが、美緒の姿も、当日持っていたバッグも見つからなかった。 それから1年後。 母・雪が、かつて家族で暮らしていた古いマンションを訪れた時、突然スマートフォンに通知が届く。 それは、美緒のバッグに入れていた位置追跡チップからの信号だった。 示された場所は、誰も想像していなかった寝室の床下。 そこから見つかったバッグ、消えていた上着、空になった金庫。そして、父親の車が事故前に立ち寄っていた“38分間”の空白。 事故だと思われていた少女の失踪は、家族の秘密と金の流れに隠された、まったく別の事件へと変わっていく。ミステリー|行方不明1.9萬字5 55 -
完結第9話
中卒社員の逆転邸宅
中卒というだけで副社長に見下され、追い出し部屋へ異動させられた真司。 かつて父の会社を救うため進学を諦め、20年以上エンジニアとして働いてきた彼だったが、新しく就任した副社長は学歴だけで人を判断し、低学歴の社員たちを次々と窓際部署へ追いやっていく。 それでも真司は、妻の出産を控え、家族を守るために耐え続けていた。 やがて無事に子どもが生まれ、職場へ復帰した真司に、副社長はさらに残酷な言葉を投げつける。 「低学歴、低収入の子供がどんな顔してるのか見てみたいな」 その瞬間、真司は静かに微笑んだ。 「いいですよ。今週の土曜日、うちに来てください」 冷やかし半分で自宅へやって来た副社長たち。だが、案内された先で彼らが目にしたのは、想像もしなかった豪邸と、リビングで待っていた“ある人物”だった。 中卒と笑われ続けた男が、家族と仲間を守るために仕掛けた静かな反撃とは――。ミステリー|因果応報|人生逆転1.3萬字5 6 -
完結第20話
湖底の五本柱
1999年2月、記録的な豪雪に閉ざされたダム建設地・鏡谷で、3人の男が忽然と姿を消した。 彼らが乗っていた黒いセダンは、エンジンをかけたまま雪原に残されていた。ドアは開き、所持品もそのまま。だが、車の周囲には人が降りた足跡が一つもなかった。 やがて龍鳴寺の床下から見つかった1台のカメラが、事件を思わぬ方向へ動かしていく。そこに写っていたのは、消えた3人と作業員たちが、吹雪の中で何かを巡って激しく対立する姿だった。 さらに、ダムに沈むはずだった村からは、古い拳銃、止まった懐中時計、血に染まった作業車、そして「五つの柱」という不気味な言葉が浮かび上がる。 これは単なる失踪ではなかった。 ダムの底へ沈められようとしていたのは、村の風景だけではない。30年前に隠された罪と、ひとりの老人が命をかけて仕掛けた復讐だった。 雪の中で消えた男たちは、どこへ行ったのか。 そして、水没した地下から響く時計の音は、何を告げていたのか――。ミステリー|行方不明|金銭問題3.0萬字5 86 -
完結第10話
消えた弟と制服の父
1991年3月、群馬県の山間にある静かな村で、2歳の木島拓也が自宅の前庭から忽然と姿を消した。 父は警察官。母は家の中にいた。庭にはおもちゃのトラックだけが残され、足跡も、争った跡も、手がかりらしいものは何も見つからなかった。 大規模な捜索が行われても、拓也の行方は分からない。やがて事件は迷宮入りしかけるが、父・洋介の行動にはいくつもの小さな違和感が残っていた。 予定より長すぎたランニング。説明のつかないパトカーの走行距離。外したはずの銃弾。そして、父の後ろ姿を見ていた4歳の姉・香織の沈黙。 それから3年後。 成長した香織は、悪夢の中で何度も同じ光景を見るようになる。 「パパが、拓也を傷つけた」 幼い記憶の断片が少しずつつながった時、消えた2歳児をめぐる事件は、思いもよらない形で再び動き出す。 前庭から消えた子どもに、本当は何が起きたのか。 そして、家族が3年間口にできなかった“あの日の真実”とは――。ミステリー|行方不明1.5萬字5 155