"食卓追放の1億3000万" 第3話
「でも、美緒ちゃんと遊びたいし」
真美さんはすぐに答えました。
「子どもの教育、干渉されても困るんです。それに最の育児では、祖父母とは適度な距が事だって言われていますよ」
匠も、真美さんの方でした。
「母さん、真美の言う通りだよ。今は核族で育てるのが主流なんだ」
私は言葉を失いました。
私が苦労して育てた息子が、祖母と孫のまで否定するなんて。
それでも私は耐えました。
に1度でも美緒に会いたかった。
匠へのも残っていました。
いつか分かってくれると信じていました。
けれど、決定な来事はさらに続きました。
「お母さんの料理は、もう結構です」
ある週末、真美さんがきっぱり言ったのです。
「正直、面が配なんです。齢者はが震えたり、覚が鈍ったりするって聞きますし」
私はわず言い返しました。
「私はまだ67歳よ。も震えないし、覚だってプロとして鍛えてきたわ」
真美さんはややかな目で私を見ました。
「でも、こののスープ、塩辛かったですよね。それに、まな板の消毒とか、本当にちゃんとできているのかで」
30、度も毒を起こしたことのない私が、を疑われる。
それはプロとしての誇りを傷つけられる言葉でした。
匠は困ったように眉を寄せましたが、結局、私の方にはなりませんでした。
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「母さん、あまり頑なにならないで。真美は族の健康を考えてくれてるんだから」
夫の正司まで言いました。
「子、おもなんだからしくしていろ。真美ちゃんは若くて現代な考えを持ってるんだ」
私はそので何も言えなくなりました。
こうして私のは、しずつ縮していきました。
台所からされ、リビングからされ、美緒とのからされ、そして今夜、卓からもされたのです。
「お母さん、そんなに気にしないでください」
夕のあと、真美さんが客の戸をしけて言いました。
私はめたシチューの皿をに、顔をげました。
「ただ、うちは子どもの教育方針として、事は核族で取ることにしているんです」
真美さんは、取り繕うような声をしていました。
「美緒ちゃんに悪い響があると困るので」
私はゆっくりと聞き返しました。
「悪い響って、どういうかしら?」
真美さんはわずかに目を逸らしました。
「お母さんのべ方とか、箸の持ち方とか、し気になる点があって」
私は驚きました。
フレンチのシェフとして、テーブルマナーは何度も学び、輩にも指導してきました。むしろ、真美さんのナイフやフォークの使い方の方が危なっかしいとじることもありました。
けれど、もう反論する気力はありませんでした。
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「そう」
私はそれだけ答えました。
真美さんは満したように戸を閉めました。
客に再びひとりになると、涙が頬を伝いました。
40、族に捧げてきた私のは何だったのか。
仕事をし、子どもを育て、夫を支え、息子夫婦を助け、孫をがってきた。
その結果が、別のめた皿なのか。
その夜、私は客で眠れませんでした。
布団に入っても、目を閉じることができません。リビングからは、まだ族の話し声が聞こえていました。匠、真美さん、正司の3の声です。
私はそっと起きがり、ドアをしだけけました。
を澄ませると、匠の声が聞こえました。
「やっと母さんもしくなったね」
その声には、堵の響きがありました。
続いて真美さんが言いました。
「本当よ。お母さんがいない方が、族でくつろげるわよね」
夫の正司まで、い声で同しました。
「そうだな。子がいると、どうも空気がくなる」
私は胸が苦しくなり、震えるでドアの縁を握りしめました。
しかし会話は、そこで終わりませんでした。
「でもさ、いつまでこの状況を続けるの?」
匠が尋ねました。
「何か根本な解決が必よね。毎週来られても迷惑だし」
真美さんの声には苛ちがにじんでいました。
その、正司が声をくしました。
「実はいい案があるんだ」
私は息を止めました。
「子の実の、かなりの額で売れそうだよ。
産から連絡があってな」
真美さんの声が急にるくなりました。