"銀の指輪の応募者" 第7話
顔が似ているだけでも全が凍りついたのに、この青は、夫と全く同じ独自の設計哲学まで持っている。ふみ子の全を、奇妙な戦慄が包み込んだ。指先がしびれ、背筋に鳥肌が絶えなく駆け巡る。
ふみ子は図面をおしそうに胸に抱きしめ、子の背もたれに体を預けて井を見げた。目から、い涙が筋流れ落ちていく。
そして次の瞬、ふみ子の差しが、最経営者としての鋭いものへと変わった。
彼女はデスクのの内線話をに取った。ボタンを押す指先に、い力がこもる。秘の呼びし音が1度鳴るか鳴らないかのうちに、ふみ子が先にい声でをいた。
「伊藤。すぐに、あの青に連絡を取りなさい。の午9、会主催の特別次面接を設定しなさい。……お子様の同伴も、特別に許すると伝えなさい」
受話器の向こうで、伊藤がしばらく言葉を失ったような沈黙が流れた。会が自ら、たった1の応募者のために特別面接を主催するなど、建設の歴史例のないことだったからだ。
しかし、ふみ子に仕えてきた伊藤は、追加の質問をすることなく、「承いたしました」とだけ答えた。
ふみ子は話を切り、再び図面を広げた。無骨な鉛の線に沿って、彼女の指先がゆっくりとく。まるで、25ぶりに夫ののひらに触れるかのように、慎で、切実な付きだった。
広告
方、建設の本社ビルをにしたユトの取りは、鉛をぶらげたようにいものだった。
川ふみ子会が直接図面を受け取ってくれたとはいえ、面接会に赤ん坊を背負って乱入し、代未聞の騒ぎを起こした応募者を、体どこの企業が採用してくれるだろうか。規則違反で警備員まで呼ばれたのだから、どう考えてもチャンスは完全に潰えたと考えるのが普通だった。
ユトは歩むごとに、激しい自責ので胸を締め付けられた。あの命より切な図面を、ただ無駄に渡してしまったようなものだった。
おんぶ紐ののハルトが、お腹が空いたのか、ぐずり始めてユトの背をさな拳で叩いた。泣きしそうな息子の背を優しく撫でながら、ユトはくうつむいたまま、妻のいる総病院へと向かった。彼のポケットのには、バス代を払えばギリギリ残るかどうかの、わずかな銭があるだけだった。
ミルクを買わなければならない。オムツも切れている。そのに、妻の滞納した巨額の治療費をどうすればいいのか。のが借のことでいっぱいで、目のが真っ暗だった。
総病院の集治療(ICU)のに着いたユトは、たいガラス窓の向こうを眺めた。
無質な医療械がぎっしりと取り囲むベッドので、青い顔をして、械の力で辛うじて息をしている妻・ミサキの姿が見えた。
広告
とには太い酸素チューブが繋がれ、細い腕に刺さった点滴の管が、しげに揺れていた。定な拍モニターの「ピッ、ピッ」というたい音だけが、ガラス窓の向こうから微かに聞こえてくる。
ユトはガラス窓に額をく押し付け、声もなく咽び泣いた。
「ミサキ……ごめん。俺が甲斐ないばかりに、面接のチャンスも掴めず、おのそばにいてやることもできなかった……」
ガラス窓に彼のい息がかかり、涙が顎を伝ってボタボタとに落ちた。しかし、ガラスの向こうの妻が、その泣き声を聞くことはできなかった。
ユトとミサキ、この若い夫婦には、世の誰もらない、ずっとく辛い事があった。
2は、親の顔さえ度も見たことのない、児童養護施設のだった。ユトは5歳のに、事故のショックで全ての記憶を失ったまま施設に預けられ、ミサキはまれてすぐに施設のに捨てられた子供だった。
同じ施設で育った2は、幼い頃から実の兄妹のように、互いのの傷を慰めってきくなった。の子供たちにいじめられるミサキを、いつもユトが体を張って守った。毎晩、記憶を失った恐怖から両親を求めて泣き叫ぶユトの背を、ミサキがさなで優しく擦ってくれた。
2は施設の裏庭に並んで座り、よく夜空を見げていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
消えなかった500円
昭和42年、町工場で働く佐々木正雄は、給料日のたびに茶色い封筒から500円だけを抜いていた。 家計を預かる妻・春江にとって、その500円は決して小さな額ではなかった。米代、学校の集金、娘の靴、毎日の食卓。10円、20円を切り詰めて暮らす中で、夫が理由も言わずに毎月同じ金額を消していくことが、春江にはどうしても許せなかった。 酒なのか、競馬なのか。それとも、妻には言えない誰かのためなのか。 問い詰めても、正雄はただ「俺の小遣いだ」としか答えない。夫婦の間に小さな疑いを残したまま、500円の謎は長い年月の中へ埋もれていった。 やがて時代は流れ、娘たちは巣立ち、正雄もこの世を去る。 遺品整理の途中、春江は押し入れの奥から一冊の古い大学ノートを見つける。そこに残されていたのは、昭和42年から何年も続く「500円」の記録だった。 夫が最後まで語らなかった、その金の行き先とは。 20年以上たって初めて明かされる、不器用な父の小さな秘密。人生逆転|親子関係1.5萬字5 3981 -
完結第12話
赤身を笑った女の末路
15年前、木村実乃里は“親友”を名乗る女・高子に夫を奪われた。 妊娠したと泣きながら告げてきた高子。沈黙する夫。幼い娘を連れ、実乃里はすべてを失ったような思いで家を出た。 それから15年。 実乃里は娘・由美香を育てながら、小さな店から会社を立ち上げ、ようやく穏やかな日々を手に入れていた。 そんなある日、社会人になった由美香が、初任給で母を回転寿司へ連れていく。ささやかで幸せな食事の席で、実乃里は15年ぶりに高子と再会する。 「相変わらず貧乏臭いわね」 「うちの子は国家公務員なの」 昔と変わらず人を見下し、勝ち誇る高子。 しかし次の瞬間、由美香が静かに言った。 「ママ、あの人クビにしたら?」 高子が働いている“高級ショップ”の本当の経営者。 15年前に壊されたはずの母娘の人生。 そして、高子自身が知らなかった本当の立場。 回転寿司の小さなテーブルで、15年越しの因果が静かに動き出す。因果応報|人生逆転1.8萬字5 1128 -
完結第12話
23回拒まれた元部長
定年退職した元部長・加藤正雄は、会社を離れてもなお、“上司”でいることをやめられなかった。 ゴルフ練習場で出会った佐藤雅人に、頼まれてもいない指導を始める加藤。何度断られても「遠慮しているだけ」「上達のため」と勝手に解釈し、他人の時間や距離感を踏み越えていく。 やがてその迷惑な善意は、ゴルフ場だけでなく、パソコンサークルや写真講座でも同じように繰り返されていたことが明らかになる。 「結構です」と言われた回数は、記録に残っているだけで23回。 それでも加藤は、自分が嫌がられている理由を理解できない。 肩書きを失っても、人を動かす側でいたかった男。 しかし、会社の外では誰も彼の部下ではなかった。 善意のつもりで他人の領域に踏み込み続けた男が、最後に失ったものとは――。第二の人生|金銭問題1.8萬字5 182 -
完結第11話
聖火と十円玉
昭和39年10月10日。東京オリンピック開会式の朝、町中が歴史的な一日に浮き立つ中、大田区の小さな町工場では、職人・佐伯正治がいつも通り旋盤の前に立っていた。 急ぎの部品6個を仕上げ、「俺が届けてくる」と自転車で工場を出た正治。取引先には確かに到着し、部品も無事に渡していた。 しかし、その後、彼は家にも工場にも戻らなかった。 妻も仲間も警察も行方を探す中、正治は4日間姿を消す。そして4日目の朝、髭を伸ばし、汚れた上着のまま、左手に包帯を巻いて工場へ戻ってきた。 彼が作業台に置いたのは、1枚の病院の領収書。 東京中が聖火を見つめていたあの日、名もなき職人はどこで何をしていたのか。 歴史には残らなかった、けれど誰かの人生を確かに支えた、昭和の小さな選択の物語。人生逆転|真相1.6萬字5 910 -
完結第10話
終電の風呂敷
昭和36年の冬、東京郊外の小さな私鉄駅に、毎晩必ず終電だけに乗る老婦人がいた。 午後11時38分。灰色の着物に黒い羽織、そして胸に抱えた紺色の風呂敷包み。彼女はいつも同じ時間に現れ、同じ行き先――工場前駅までの切符を買っていく。 昼間には一度も姿を見せず、帰りの切符も買わない。翌朝戻ってくる姿を見た者もいない。それなのに、次の夜になると、老婦人はまた何事もなかったように駅へ現れる。 若い駅員・高木修一は、次第にその風呂敷の中身と、彼女が毎晩終電に乗る理由が気になっていく。 そして小雪の降る夜、高木は初めて老婦人の後を追った。 終電の先にあったのは、眠らない工場街と、夜勤を終えて戻ってくる幼い少女たちの姿。老婦人が風呂敷をほどいた時、高木はようやく知ることになる。 彼女が毎晩運んでいたのは、ただの荷物ではなかった。 誰にも頼まれず、名前も残さず、昭和の片隅でそっと続けられていた小さな恩返し。その温もりが、時代を越えて誰かの心に受け継がれていく――。人生逆転|真相1.4萬字5 2619 -
完結第11話
片胸の息継ぎ
54歳の大庭律子は、市民プールの清掃スタッフとして働いている。 3年前に乳癌の手術を受け、左胸を失ってから、彼女は自分の身体をどこか他人のもののように感じていた。温泉にも行けず、水着を着ることもなく、鏡の前では息を止める癖がついていた。 そんなある夜、初心者レーンで泳ぎを習う70代の老人・須賀と出会う。 何度も水を飲み、息継ぎに失敗しながらも、須賀は諦めずに25メートルを目指していた。 「吸うんじゃなくて、先に吐くんです」 インストラクターのその言葉が、律子の心に小さな波紋を残す。 傷を隠し、欲しいものを我慢し、次の検査日だけを数えて生きてきた律子。けれど水の中で不器用に息を探す老人の姿を見つめるうちに、彼女の中で忘れていた感覚が少しずつ動き出す。 生き残った身体を、もう一度、自分のものとして受け入れられるのか。 水の中で吐き出した先に、律子が初めて吸い込んだ“次の息”とは――。孤獨|第二の人生1.6萬字5 266 -
完結第12話
7階に戻るな
70歳の高橋恵子は、夫を亡くしてから6年、都心のマンションで静かに暮らしていた。 ある夕方、いつものように買い物帰りのエレベーターに乗った彼女は、隣人の老人・木村から一枚の紙切れを渡される。 「病気のふりをして、次の階で降りろ。絶対に7階へ戻るな」 意味も分からないまま指示に従った直後、エレベーターの中で木村は命を落とす。さらに残された紙には、「このマンションでは、誰も信じるな」と書かれていた。 なぜ木村は恵子を逃がしたのか。なぜ7階へ戻ってはいけなかったのか。 やがて事件は、6年前に事故死したはずの夫・優一郎の死、息子夫婦の秘密、そしてマンションから消された5分間へとつながっていく。 たった一枚の紙切れが、穏やかな老後に隠されていた真実を暴き出す――。因果応報|人生逆転1.8萬字5 1361 -
完結第14話
銀行にいた偽妻
60歳の斎藤かよ子は、夫・剣一を大阪出張へ送り出したはずだった。 しかし午前11時17分、銀行から一本の電話が入る。 「ご主人が、奥様と同じ名前の若い女性と一緒に来店されています」 その女性は、かよ子の名前を名乗り、住所や生年月日、家族の情報まで正確に答えていた。しかも夫は、その女を自分の妻として銀行に紹介し、かよ子名義の資産に関わる重要な手続きを進めようとしていた。 ただの浮気ではない。夫は、かよ子の服装、癖、署名、人生の記録までも利用し、“もう1人の妻”を作り上げていた。 37年間信じてきた夫が、本当に奪おうとしていたものは財産だけだったのか。 そして、何も知らない妻を演じ続けたかよ子が、最後に銀行で見せた反撃とは――。人生逆転|夫婦2.1萬字5 1525 -
完結第10話
消された妻の逆転乾杯
夫の昇進祝いの宴席で、佐木美和は信じられない光景を目にする。 35年間連れ添ってきた夫・孝志が、120人の招待客の前で、若い愛人を「妻です」と紹介したのだ。 本当の妻である美和は、会場の端の席に座らされ、まるで無関係な招待客の一人のように扱われていた。夫からは事前に「今日だけは黙っていろ」と言われていた。 けれど、美和は怒鳴らなかった。 ただ静かにグラスを持ち上げ、夫と愛人に向かって乾杯した。 なぜなら彼女は、17年間にわたって夫が奪い続けてきた功績、不正に使われた経費、そして自分の名前を消された証拠を、すでに会長へ渡していたからだ。 祝福の拍手が響く中、会長がゆっくりと立ち上がる。 「佐木君。今の紹介で、最後の確認が取れた」 その一言で、夫の栄光の夜は、崩壊の始まりへと変わっていく――。夫婦|第二の人生|不倫1.4萬字5 1991 -
完結第12話
捨てられた夏の肖像
次女・夏が生まれた日、夫は赤ん坊の顔を見るなり言い放った。 「この子は俺の子じゃない」 長女は夫にそっくりなのに、次女はまったく似ていない。たったそれだけの理由で、私は浮気を疑われ、DNA鑑定で親子関係が証明されても、夫と義母は夏を認めようとしなかった。 そして私は、生まれたばかりの次女だけを連れて家を追い出される。 残された長女には会えないまま、10年が過ぎた。 ところがある日、成長した夏とショッピングモールを歩いていた私は、夫と義母、そして長女と偶然再会する。 そこで彼らは、夏の姿を見て言葉を失った。 10年前、「他所の子」と罵られた次女には、彼らが知らない大きな秘密があった――。因果応報|人生逆転1.8萬字5 817