"春雨に消えた妻" 第5話
健は当74歳になっていた。老ホームへの入所を控えており、取りはおぼつかなかった。けれど取調に入ってきたのまなざしには、まだ鋭さが残っていた。
松田は同僚の刑事にさく言った。
「らないと言い張るでしょう」
予通りだった。
健は最初の2、貫して否認した。
「クラス会が終わって、すぐに席をちました」
「順子さんがどこへったかはりません」
「あの以来、会っていません」
声は落ち着いていた。いのに何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、そのままにしているようだった。
松田は急がなかった。
机のに、1枚の類を置いた。
科学捜査研究所によるDNA鑑定結果だった。
続けて、もう1枚の写真を置いた。そこには、さな封筒が写っていた。
幸が31保管していた、順子の髪の毛が入った封筒だった。
順子が姿を消した直、幸は妻の櫛に残っていた髪を数本取り、封筒に入れて保管していた。いつか何かの役につが来るかもしれない。そうって、切にしまい続けていたのだ。
その封筒が、31ぶりに役つことになった。
遺骨から採取されたDNAは、順子の髪の毛と致した。
松田は健の目を見た。
健のまぶたが、わずかに震えた。
松田は静かに続けた。
「伊藤美さんの証言があります。斎藤さんの証言もあります。
広告
トラックのマット交換の領収も見つかりました」
健は黙っていた。
「そして、あなたのの庭のに31埋められていた方も見つかりました」
取調に、い沈黙が流れた。
壁の計の秒針が、乾いた音をててんでいた。
健は机のに両を置いた。指先はかすかに震えていた。
やがて、彼はゆっくりとをいた。
「クラス会が終わった、順子をに乗せました」
松田は黙って聞いた。
「まで送ってやると言いました。でもので論になった」
健は線を落とした。
「ずっとから抱いていたを告した。順子はそれを拒絶した。はっきりと拒絶した」
声がしずつかすれていった。
「その瞬、何かが切れた。自分でも、どうしてそうなったのか分からない」
その先の言葉は、健のからなかなかてこなかった。
けれど、沈黙そのものがすべてを物語っていた。
犯は拒絶だった。
31、祠ので眠らされていた女性の命の代償は、1の男の傷ついた自尊に過ぎなかった。
幸がそのらせを受けたのは、夕方だった。
警察署の面談で、松田から説を受けた幸は、最初、何も言わなかった。
「奥様の元が確認されました」
「犯を認める供述も取れています」
その言葉を聞いても、幸はただ両を膝ので握りしめていた。
やがて、い声で尋ねた。
広告
「順子は、い、あの男ののにいたんですか」
松田は目を伏せた。
「はい」
幸は肩を震わせた。
31もの、折自分に否を尋ねる話をかけてきた男。その元に、妻は埋められていた。
慰めの言葉をかけるふりをしながら、真実を最もい所に隠していた男。
幸は、そこで初めて声を殺して泣いた。
20243、横浜方裁判所の刑事部は、健に懲役25を言い渡した。
法廷にはい空気が漂っていた。
被告席の健は、髪が増え、肩を落として座っていた。かつてクラス会でにち、満面の笑みを浮かべていた男の姿は、そこにはなかった。
裁判は判決文を読みげるに、静かに述べた。
「被告は31という歳の、被害者の族が経験してきた苦痛に対して、ただの1度も真の謝罪をしていません。法廷での自は、証拠のにこれ以耐えられなくなったからに過ぎません」
健は顔をげなかった。
幸は傍聴席の最列に座っていた。
当73歳になっていた。背はし丸くなり、髪にもいものが増えていた。それでも、判決を聞くために、自分ので法廷へ来ていた。
「主文。被告を懲役25に処する」
その声が響いた瞬、幸は目を閉じた。
かった。
あまりにもかった。
31の、妻が玄関をてったから、彼のはそこで止まっていた。
誰かに「もう忘れよう」と言われても、警察にとして扱われても、周囲の記憶から順子のがれていっても、幸だけは諦めなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第8話
消えた女性巡査
2003年春、群馬県の伊香保温泉街で、24歳の女性巡査・田中美咲が勤務中に忽然と姿を消した。 最後の無線は「これより署に戻ります」という、ごく普通の報告だった。だがその後、美咲は警察署へ戻ることなく、携帯もつながらず、温泉街から完全に姿を消してしまう。 家族、同僚、地域の人々が必死に捜索を続けたが、手がかりは見つからない。観光客で賑わう石段街、防犯カメラの少ない時代、廃業した旅館、そして誰にも気づかれなかった空白の時間――。 事件は未解決のまま、16年の歳月が流れた。 しかし2019年、古い防犯映像の再解析によって、美咲が最後に向かった可能性のある場所が浮かび上がる。 それは、温泉街の奥にひっそりと残された廃旅館「松風荘」だった。 朽ちた建物の地下室で見つかったのは、錆びついた手錠と小さな鍵。そして壁に刻まれていた、ある名前。 16年間、湯けむりの中に隠されていた真実が、ようやく動き出す。ミステリー|行方不明1.2萬字5 6 -
完結第9話
霧の峠に消えた後継者
1995年秋、長野の霧深い峠道で、1台の黒塗りの高級車が見つかった。 車内には鞄と別荘の鍵だけが残され、運転していたはずの男の姿はどこにもなかった。行方不明になったのは、東京・銀座の名門財閥の3代目後継者、総一郎。28歳の若さで一族の未来を背負うはずだった青年だった。 誘拐か、事故か、それとも自らの失踪か。 身代金の要求もなく、遺体も見つからないまま、事件は長い年月の中に埋もれていく。やがて一族では、総一郎の従兄・涼介が新たな当主となった。 しかし15年後、時効が目前に迫ったある日、総一郎の妹・佐和子は古い資料の中に小さな違和感を見つける。 車に残されていたはずの「別荘の鍵」。だが、それは兄がいつも持ち歩いていた本物の鍵入れではなかった。 消えた鍵入れはどこへ行ったのか。 そして、霧の峠で総一郎は本当に何者かに消されたのか。 時効前日、佐和子と元刑事・沢田は、すべての答えが眠る軽井沢の別荘へ向かう。そこで見つかった一冊の手帳が、15年間閉ざされていた財閥一家の真実を静かに暴き始める――。ミステリー|真実1.3萬字5 6 -
完結第5話
志摩の海に沈んだ母
1994年、三重県志摩の小さな漁村で、70歳を過ぎても海に潜り続けていた海女・高島梅野が突然姿を消した。 その朝、海は穏やかだった。仲間の海女たちは確かに梅野の姿を見ていた。けれど日が高くなっても、彼女だけが水面に戻ってこなかった。捜索は続いたが、亡骸も道具も見つからない。 事故なのか、失踪なのか。 梅野には3人の息子がいた。東京に住む長男、大阪で商売をする次男、そして島に残って母の近くで暮らしていた末の息子・正斗。やがて警察は、梅野が持っていた土地と、息子たちの金銭問題に目を向ける。 だが決定的な証拠はなく、事件は海に沈むように忘れられていった。 それから16年後。 東京・港区で、行方不明のはずの梅野名義の「3億円ビル」が見つかる。しかも名義移転は、彼女が姿を消した後に行われていた。 誰が、母の名義を使ったのか。 古い家に残された血痕、かまどの灰から出てきた金の指輪、そしてタンスの奥に隠されていた一通の遺言書。 志摩の海に消えたはずの真実が、16年後、静かに浮かび上がる――。ミステリー|真実7.7千字5 0 -
完結第4話
トランクの中の9年
2015年、熊本市の公園で、5歳の少年・岡田匠が突然姿を消した。 父・悟と一緒に散歩へ出かけ、砂場で遊んでいたはずの匠。父がほんの一瞬目を離した時、息子の姿はどこにもなかった。公園にいた人々も、周辺の防犯カメラも、匠がどこへ行ったのかを捉えていない。 警察は大規模な捜索を行ったが、手がかりは見つからず、事件は未解決のまま時間だけが過ぎていく。母・美咲は息子の帰りを待ち続け、父・悟は疑いと沈黙の中で少しずつ壊れていった。 そして9年後。 森の違法投棄現場で見つかった一台の古いトヨタ。その車は、かつて悟が所有していたものだった。 錆びついたトランクを開けた時、警察官たちは息をのむ。 中に隠されていたのは、9年前に消えた少年の記憶と、父親が最後まで語らなかった恐ろしい秘密だった――。ミステリー|真実6.4千字5 0 -
完結第7話
樹海の白いマスク
2007年夏、東京の病院で働く看護師・月島有沙は、心身を休めるため、1人で青木ヶ原周辺の森へ向かった。 登山届を出し、装備も整え、数日後には戻るはずだった有沙。しかし、予定日を過ぎても彼女は帰らなかった。警察と捜索隊が森を捜しても、足取りは途絶え、手がかりは何も見つからない。 そして失踪から10日後。 有沙は登山道から大きく外れた森の奥で、一本の木に縛りつけられた状態で発見される。奇跡的に息はあったが、彼女が意識を失う直前に残した言葉は、ただ一つ。 「マスク」 森の中で有沙に何が起きたのか。 彼女が語ったのは、白い歪んだマスクをつけた男、誰にも見つからない洞窟、そして10日間の恐怖だった。 だが、犯人の正体も、洞窟の場所も、最後まで分からなかった。 美しいはずの森に隠されていた、人間の最も暗い恐怖を描く未解決の物語。ミステリー|行方不明1.0萬字5 0 -
完結第7話
母は沖縄へ消えた
65歳の桜井久子は、夫に先立たれてから、息子夫婦と孫のために人生を捧げてきた。 大学費用、結婚資金、マイホームの頭金、毎月の生活援助。元銀行員として働き続けて貯めたお金も、時間も、すべて息子家族の幸せのために使ってきた。 ところがある朝、息子・拓也は冷たい声で告げる。 「義両親と同居することになったから、母さんには出て行ってほしい」 しかも、久子を追い出した後も、毎月の援助だけは続けてほしいと言う息子夫婦。嫁の両親を迎えるため、久子の部屋まで勝手に決められていた。 その瞬間、久子の中で何かが静かに切れる。 38年間の銀行員生活で培った知識と人脈を使い、彼女は誰にも気づかれないまま準備を始めた。口座の解約、保険の受取人変更、重要書類の移動、そして新しい住まいの契約。 引っ越し当日、息子夫婦が最後に求めたのは、やはり金だった。 しかし久子が差し出した一枚の書類を見た瞬間、2人の顔色は一変する。 母を追い出せば、都合よく支配できると思っていた息子夫婦。 だが1週間後、沖縄の青い海を背景に現れた久子の姿を見て、彼らはようやく自分たちが何を失ったのかを知る――。行方不明1.0萬字5 15 -
完結第4話
リンゴ畑の骨
1987年、青森県津軽地方のりんご農園で、若い嫁・高橋じ子が突然姿を消した。 荷物も持たず、実家にも戻らず、まるで最初から存在しなかったかのように消えた彼女。村人たちは「嫁いびりに耐えられず逃げたのだろう」と噂し、警察も家出として処理しようとする。 しかし、兄の哲也だけは妹の失踪を信じなかった。 失踪前、じ子から届いていた一通の手紙。そこには「最近とても辛いの。もっと恐ろしいことが起きた時に必ず話すね」と書かれていた。 やがて捜査が進むにつれ、村人たちがひた隠しにする一人の男の存在が浮かび上がる。 村の区長・渡辺茂夫。 表向きは頼れる長老。だが、彼の名前が出た瞬間、村人たちは一斉に口を閉ざした。 そして12年後、りんご畑の土の下から見つかった人骨と、小さな金のイヤリング。 残された日記、消えた証拠、夜中に畑で揺れていた小さな光。 長く沈黙していた村の闇が、赤く実るりんごの木の下から、ついに掘り起こされる――。行方不明6.4千字5 13 -
完結第17話
壁の中の妻
2006年、長野県松本市で主婦・田中洋子が忽然と姿を消した。 最後に確認されたのは、夫との夜9時の電話。財布も荷物も家に残され、外へ出た形跡もない。夫の健一は東京勤務を辞め、妻がいつか帰ってくると信じて、10年間その家で待ち続けた。 しかし2016年、家のリフォーム工事中、作業員がリビングの壁に奇妙な違和感を覚える。 他の壁よりも厚い、二重構造の壁。 壊されたその奥から出てきたのは、白骨化した人骨と、古びた財布だった。 遺骨の身元は、10年前に失踪した洋子本人。つまり彼女は、夫が毎日座っていたリビングのすぐそばで、ずっと眠っていたことになる。 誰が、なぜ、彼女を壁の中に隠したのか。 捜査線上に浮かんだのは、夫を10年間支え続けた“親切な友人”だった。 妻を探し続けた夫。 善人の仮面をかぶった男。 そして、死の直前に残された一冊の日記。 10年もの間、壁の向こうに封じられていた真実が、ついに崩れ落ちる――。行方不明2.6萬字5 206