"百円玉の逆転" 第1話
員が、孫娘の貯箱をぶちまけた。
さな貨がカウンターのに散らばり、乾いた音をててにも転がった。100円玉、10円玉、5円玉、1円玉。孫の奏が、お玉やお遣いをしずつ貯めてきた切なおだった。
窓にいた若い女性員は、その貨を見ろしたまま、さくつぶやいた。
「たった、これだけ……」
その瞬、奏の目にみるみる涙があふれた。
私は隣の子に座ったまま、拳を膝のでく握り締めた。8歳の子どもが、枚枚事に貯めたおを、そんな言葉で踏みにじられる。黙って見過ごすわけにはいかない。
そうってちがりかけただった。
「何をしているんだ?」
奥から、課の名札をつけた50代の男性がんできた。
まるで、ずっとこちらの様子を見ていたかのような速さだった。という名のその男は、窓の女性員のにち、く鋭い声を響かせた。
「ゆき。お客様の切なおを落とすとは、どういうことだ。すぐに拾いなさい」
声が窓全体に響いた。
ゆきと呼ばれた女性員は、顔をこわばらせ、慌てて膝をついた。震えるでの貨を拾い始める。も緒に屈み、貨を拾っていたが、その目はゆきさんの元をたく見ていた。
すべての貨が貯箱に戻ると、の表が変した。
彼は奏の目線にわせて膝を折り、先ほどとはまるで違う声で言った。
広告
「お嬢ちゃん、怖かったね。おじさんがちゃんと叱っておいたから、もう丈夫だよ」
鳴り声と猫なで声が、同じ喉からている。
私はその切り替わりの速さに、かすかな違を覚えた。
はちがると、今度は私に向き直った。くをげ、丁寧すぎるほどの調で言った。
「変申し訳ございません。当の教育がき届かず、お客様にないをさせてしまいました」
そして私たちを、窓からしれた別の席へ案内した。
「お孫さんにも奥様にも、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません。お詫びとして、お客様には特別にこちらの投資信託をご案内させていただきます。カフェをご経営とのことですし、将来のご資計画も切でございましょう」
謝罪から商品案内へ切り替える流れは、あまりにも慣れていた。
投資信託の説自体は確だった。
けれど、今の私にとって切なのは、商品の話ではなかった。
隣で唇を噛みしめている奏のを握ると、さなは氷のようにたかった。
私はゆっくりちがった。
「それは結構です。今は失礼しますね」
はまだ笑顔を保っていた。
だが、その目の奥に瞬だけ、つまらなそうながよぎったのを、私は見逃さなかった。
をると、のが頬を撫でた。
私はまず、奏の頬にハンカチを当てた。
広告
涙の跡をそっと拭きながら、できるだけ穏やかな声で言った。
「奏、あなたの貯は派よ。枚枚、切に貯めたのだものね。嫌なことを言われて、しかったわね」
けれど奏は、さく首を振った。
「違うの」
もうしくない、ということだろうか。
私はし考え、別の言葉をかけた。
「ああ、あの課さんが優しかったものね。だから、もう丈夫ってことかな」
奏はまた首を振った。
「違うの」
彼女は靴の先を見つめたまま、言葉を探していた。自分の気持ちを言葉にするのは、でも難しい。8歳の子どもなら、なおさらだった。
涙が止まった奏と緒に、私は帰りを歩き始めた。し気持ちが落ち着いた頃いを見計らって、私はゆっくり尋ねた。
「じゃあ、さっき、どういう気持ちだったか教えてもらえる?」
奏の答えは、私の予とはまるで違っていた。
「しかったの。あのお姉さんが、つらそうだったから」
私はわずを止めた。
「ああ、あの課さんにられていたね」
奏はすぐに首を横に振った。
「違うの。最初から苦しくて、泣いてるみたいな声だった。それで私、かわいそうだとって泣いちゃったの」
私は言葉を失った。
この子が泣いていたのは、自分がひどいことを言われたからではなかった。
あの若い員の苦しさを、最初からじ取っていたのだ。
奏は私のをぎゅっと握り、続けた。
「それで、あの偉いはずっと怖かった」
は、ゆきさんに対しては厳しく叱りつけた。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
聖火と十円玉
昭和39年10月10日。東京オリンピック開会式の朝、町中が歴史的な一日に浮き立つ中、大田区の小さな町工場では、職人・佐伯正治がいつも通り旋盤の前に立っていた。 急ぎの部品6個を仕上げ、「俺が届けてくる」と自転車で工場を出た正治。取引先には確かに到着し、部品も無事に渡していた。 しかし、その後、彼は家にも工場にも戻らなかった。 妻も仲間も警察も行方を探す中、正治は4日間姿を消す。そして4日目の朝、髭を伸ばし、汚れた上着のまま、左手に包帯を巻いて工場へ戻ってきた。 彼が作業台に置いたのは、1枚の病院の領収書。 東京中が聖火を見つめていたあの日、名もなき職人はどこで何をしていたのか。 歴史には残らなかった、けれど誰かの人生を確かに支えた、昭和の小さな選択の物語。人生逆転|真相1.6萬字5 16 -
完結第10話
終電の風呂敷
昭和36年の冬、東京郊外の小さな私鉄駅に、毎晩必ず終電だけに乗る老婦人がいた。 午後11時38分。灰色の着物に黒い羽織、そして胸に抱えた紺色の風呂敷包み。彼女はいつも同じ時間に現れ、同じ行き先――工場前駅までの切符を買っていく。 昼間には一度も姿を見せず、帰りの切符も買わない。翌朝戻ってくる姿を見た者もいない。それなのに、次の夜になると、老婦人はまた何事もなかったように駅へ現れる。 若い駅員・高木修一は、次第にその風呂敷の中身と、彼女が毎晩終電に乗る理由が気になっていく。 そして小雪の降る夜、高木は初めて老婦人の後を追った。 終電の先にあったのは、眠らない工場街と、夜勤を終えて戻ってくる幼い少女たちの姿。老婦人が風呂敷をほどいた時、高木はようやく知ることになる。 彼女が毎晩運んでいたのは、ただの荷物ではなかった。 誰にも頼まれず、名前も残さず、昭和の片隅でそっと続けられていた小さな恩返し。その温もりが、時代を越えて誰かの心に受け継がれていく――。人生逆転|真相1.4萬字5 80 -
完結第12話
7階に戻るな
70歳の高橋恵子は、夫を亡くしてから6年、都心のマンションで静かに暮らしていた。 ある夕方、いつものように買い物帰りのエレベーターに乗った彼女は、隣人の老人・木村から一枚の紙切れを渡される。 「病気のふりをして、次の階で降りろ。絶対に7階へ戻るな」 意味も分からないまま指示に従った直後、エレベーターの中で木村は命を落とす。さらに残された紙には、「このマンションでは、誰も信じるな」と書かれていた。 なぜ木村は恵子を逃がしたのか。なぜ7階へ戻ってはいけなかったのか。 やがて事件は、6年前に事故死したはずの夫・優一郎の死、息子夫婦の秘密、そしてマンションから消された5分間へとつながっていく。 たった一枚の紙切れが、穏やかな老後に隠されていた真実を暴き出す――。因果応報|人生逆転1.8萬字5 105 -
完結第14話
銀行にいた偽妻
60歳の斎藤かよ子は、夫・剣一を大阪出張へ送り出したはずだった。 しかし午前11時17分、銀行から一本の電話が入る。 「ご主人が、奥様と同じ名前の若い女性と一緒に来店されています」 その女性は、かよ子の名前を名乗り、住所や生年月日、家族の情報まで正確に答えていた。しかも夫は、その女を自分の妻として銀行に紹介し、かよ子名義の資産に関わる重要な手続きを進めようとしていた。 ただの浮気ではない。夫は、かよ子の服装、癖、署名、人生の記録までも利用し、“もう1人の妻”を作り上げていた。 37年間信じてきた夫が、本当に奪おうとしていたものは財産だけだったのか。 そして、何も知らない妻を演じ続けたかよ子が、最後に銀行で見せた反撃とは――。人生逆転|夫婦2.1萬字5 165 -
完結第12話
捨てられた夏の肖像
次女・夏が生まれた日、夫は赤ん坊の顔を見るなり言い放った。 「この子は俺の子じゃない」 長女は夫にそっくりなのに、次女はまったく似ていない。たったそれだけの理由で、私は浮気を疑われ、DNA鑑定で親子関係が証明されても、夫と義母は夏を認めようとしなかった。 そして私は、生まれたばかりの次女だけを連れて家を追い出される。 残された長女には会えないまま、10年が過ぎた。 ところがある日、成長した夏とショッピングモールを歩いていた私は、夫と義母、そして長女と偶然再会する。 そこで彼らは、夏の姿を見て言葉を失った。 10年前、「他所の子」と罵られた次女には、彼らが知らない大きな秘密があった――。因果応報|人生逆転1.8萬字5 518 -
完結第13話
青いチョーク
63歳の田中澄江は、夫を亡くしてから2年間、午後4時になると必ず家を出るようになっていた。 夕方の光が差し込む居間には、亡き夫の湯呑みと、言葉にできない寂しさだけが残っていた。そんなある日、取り壊し前の小学校の前で、澄江は一本の青いチョークを拾う。 何気なく引いた一本の線。灰色の壁に描いた小さな青い四角。 それはただの落書きのはずだった。けれど、その壁に一人の少年が現れ、やがて子どもたちや町の人々が少しずつ色を足していく。 消えては描かれ、また雨に流されるチョークの絵。 夫を失った悲しみの中で止まっていた澄江の午後4時は、いつしか少しずつ違う色を持ち始める。 一本の青いチョークが、空白になった人生に静かな線を引いていく物語。人生逆転1.9萬字5 155 -
完結第12話
近道看板の逆襲
海の近い小さな村で、家族と農業を営む大平浩。 数年かけて育ててきたトウモロコシ畑が、ある日突然、何者かの車に踏み荒らされていた。畑の入口には、勝手に置かれた「国道への近道」の看板。何度撤去しても、立入禁止の表示を立てても、被害は止まらない。 やがて犯人は、入院中の村長の息子・光だと判明する。 「この村のものは俺のもの」 そう言い放つ光は、畑を道路のように使い続け、ついには浩の娘まで危険な目に遭わせる。警察に訴えても、相手が村長の息子というだけで話は曖昧に流されてしまう。 証拠がなければ、誰も動かない。 そう悟った浩は、畑に防犯カメラを設置し、光が自ら罠にはまる“ある看板”を立てることにした。 家族の畑を踏み荒らした男に待っていた、静かな因果応報とは――。因果応報|修羅場1.8萬字5 340 -
完結第10話
「子なし」離婚の大誤算
離婚届に署名した日、木村さゆのお腹には、まだ誰にも知られていない3か月の命があった。 夫・渡辺健二は初恋の女性との再婚に夢中で、離婚協議書には「婚姻中の子なし」と記されていた。さゆは妊娠を告げることなく、静かに名前を書き、夫の前から姿を消す。 それから10年。 さゆは一人で息子・陸を育てながら、写真館「時」を成功させ、母としても写真家としても自分の人生を築いていた。 しかし、陸の卒業式の日、思いがけず健二と再会する。 壇上で花束を渡す陸の顔を見た瞬間、健二は凍りついた。目元、鼻筋、横顔――そこには、10年前に自分が切り捨てたはずの結婚の答えがあった。 失われた10年は、金で取り戻せるのか。 父親を名乗る資格とは何か。 初恋を選んだ男が、初めて自分の過ちと向き合う時、さゆと陸が選ぶ未来とは――。人生逆転|夫婦1.5萬字5 177