"港の消失船長" 第1話
1994915、午5。
横浜港の7番埠は、まだ夜けのいに包まれていた。面からがる湿った空気が岸壁を覆い、並んだ貨物のは、ぼんやりとに沈んで見えた。員たちはそれぞれの持ちへ向かい、航の確認に追われていた。
その、福岡へ向かう貨物のを務めるはずだったのは、俊助だった。42歳。経験もく、仕事に厳しいベテランとしてられていた。
はに遅れるではなかった。員たちはそれをよくっていた。
だからこそ、最初にその姿が見えなかったも、誰もきな騒ぎにはしなかった。
「し遅れているだけだろう」
誰かがそう言い、別の員も頷いた。朝の港では、急な確認や会社からの連絡で数分遅れることは珍しくない。にいるかもしれない。でし休んでいるのかもしれない。
だが、午515分を過ぎても、は現れなかった。
午530分になり、員たちの表が変わった。1が話をかけた。呼びし音は鳴ったが、応答はなかった。別の員が急いでへ向かった。
ドアに鍵はかかっていなかった。
へ入ると、机のには航準備の類が広げられていた。鞄も置かれたままだった。ペンも、類の横に斜めに転がっていた。まるで、がし席をし、すぐに戻ってくるはずだったかのようだった。
広告
しかし、はいなかった。
員たちは顔を見わせた。誰かがい声で言った。
「おかしいぞ」
午6、会社に連絡が入った。が姿を消したという報告を受け、会社側もすぐに港内の確認を始めた。駐、岸壁、倉庫、の周囲。がける所を順番に探したが、の姿はなかった。
やがて族にも連絡が入った。
妻のゆき子は、らせを受けると急いで横浜港へ向かった。港へ着いた、彼女の顔は青ざめ、目は涙で濡れていた。員たちに囲まれた彼女は、震える声で言った。
「昨夜はいつも通りでした。今朝、午4ごろ、をたんです」
警察がし、失踪届が受理された。
そのから、横浜港7番埠は捜査の現になった。港全体が捜索対象となり、保庁もいた。岸壁の周囲、、倉庫、コンテナ置きまで調べられた。
だが、何も見つからなかった。
俊助は、のへ消えたまま戻ってこなかった。
防犯カメラには、午420分ごろ、が港に入ってくる姿がぼんやりと映っていた。当のカメラは数もなく、映像も鮮ではなかった。彼の姿は確認できたが、そのの取りは途切れていた。
まるで、港の空気に溶けるように消えてしまったかのようだった。
俊助の最の1は、誰が見ても普通のだった。
1994914、曜。は朝7に起き、妻のゆき子が用した朝をべた。
広告
卓には噌汁と目玉焼きが並んでいた。湯気のつ噌汁をに、はいつものように箸を取り、族と会話を交わした。
話題は、学2の男の成績だった。
「数学の点数ががったんだってな」
がそう言うと、男はし照れたように箸を止めた。は嬉しそうに笑い、「その調子で頑張れ」と声をかけた。学6の女も卓に座り、父親の表を見ていた。
そこには、どこにでもある庭の朝があった。
誰も、それが父親と囲む最の朝になるとはっていなかった。
朝を終えると、は会社へ向かった。横浜内にある運会社で、翌の航準備をめるためだった。会社では同僚たちと普段通りに挨拶を交わし、昼には華料理へった。
はラーメンを注文した。
同僚の伊藤輔は、の事聴取でこう証言している。
「は本当に普段通りでした。冗談も言っていたし、笑っていました。何か悩んでいるようには見えませんでした」
午、は福岡きの貨物に関する積載リストを確認した。械部品と鉄資材を積む予定で、類作業も滞りなく終わった。仕事のトラブルもなく、誰かと揉めた様子もなかった。
夕方、は退社した。
ただし、そのままには帰らなかった。同僚のと緒に、埠くの居酒へち寄った。
焼酎を1、2杯み、翌の航について話した。
「福岡でうまいものを買ってくるよ」
広告
おすすめ作品
-
完結第8話
鳴らなかったホイッスル
1988年、紅葉シーズンの箱根峠で、23歳の女性バスガイド・高橋美咲が突然姿を消した。 乗客確認のために濃い霧の中へ降りた彼女は、そのまま戻らなかった。警察は生活苦による失踪と判断したが、高校生だった弟・健二だけは、姉が自分を置いて消えるはずがないと信じ続けていた。 それから15年後。 台風で崩れかけた休憩所の擁壁から、髪の毛が絡みついた「ちぎれたホイッスルの紐」が見つかる。それは、美咲が仕事中に首から下げていたものと酷似していた。 姉は本当に自ら姿を消したのか。 霧の夜に響いた鈍い音、消された運行記録、事件直後に退職した運転手。 15年間封じ込められていた峠の秘密が、冷たい擁壁の隙間から静かに姿を現し始める。ミステリー|行方不明1.1萬字5 122 -
完結第7話
水槽裏の金歯
2002年、ワールドカップで街が沸いていた夜。築地の海鮮居酒屋で開かれた積立会の宴会中、400万円を受け取った魚屋の妻・鈴木恵子が突然姿を消した。 最後に見られたのは、黒いバッグを抱えてトイレへ向かう後ろ姿。財布も携帯も残らず、彼女はそのまま築地の夜から消えた。 夫の健一は「妻は逃げるような女じゃない」と訴え続けたが、ギャンブル癖と夫婦喧嘩の噂から疑いの目を向けられる。さらに、店長の証言と積立会の代表・高橋義子の涙ながらの話によって、事件は“夫から逃げた家出”として処理されてしまう。 それから8年後。 閉店した海鮮居酒屋の改修工事中、水槽裏の排水管から、泥にまみれた小さな金歯が見つかる。 それは、失踪した恵子の前歯にあったものだった。 なぜ金歯は、彼女が出て行ったはずの店の排水管に残されていたのか。 誰が嘘をつき、誰が真実を隠したのか。 400万円の積立金、秘密の帳簿、そして市場で「姉御」と呼ばれた女。 8年間沈黙していた築地の闇が、一本の排水管から静かに暴かれていく。ミステリー|行方不明1.1萬字5 61 -
完結第10話
勘違い常連の末路
51歳独身の佐々木博行は、結婚相談所を使うことに強い抵抗を持っていた。 「出会いは自然であるべきだ」 そう信じる彼は、自分から女性に近づくことはせず、いつか相手の方から気づいてくれるのを待ち続けていた。 そんなある日、駅前の書店で、女性店員・水野佳奈に声をかけられる。 探していた本を案内され、会計で笑顔を向けられ、前に買った本のことまで覚えていてくれた。佐々木にとって、それはただの接客ではなく、“自分だけに向けられた特別な好意”に思えた。 やがて彼は、何度も書店へ通い、佳奈だけを探すようになる。 しかし、彼女が伝えた「夫がいる」という一言さえ、佐々木の中では別の意味に変わっていく。 親切な接客。 覚えられていた注文。 何気ない笑顔。 それらを恋愛の始まりだと信じた男が、最後に見つけた“次の自然な出会い”とは――。真実|修羅場1.5萬字5 73 -
完結第13話
梅の下に眠る不動産王
1995年、東京に50棟のビルを持つ不動産王・宇井源一郎が、ある夜突然姿を消した。 会長室には、読みかけの新聞、置き忘れた老眼鏡、そして冷え切った一杯のお茶だけが残されていた。専属運転手を帰し、「今日は歩いて帰る」と告げたのを最後に、彼の行方は分からなくなる。 誘拐、逃亡、裏社会との関係――。世間はさまざまな噂を立てたが、身代金の要求もなく、遺体も見つからないまま事件は迷宮入りしていく。 それから8年後。 山形の小さな町で亡くなった元駐在巡査の遺品から、1冊の古い手帳が見つかる。そこには、失踪当日の朝、宇井源一郎がある古い墓の前に立っていたという、たった1行の記録が残されていた。 なぜ東京の不動産王は、誰も知らない山あいの墓地にいたのか。 そして、その墓に刻まれていた名前は、彼の人生そのものを揺るがすものだった。 8年間、会長室に残された冷えたお茶の謎を忘れられなかった刑事が、封じられた過去へとたどり着く。ミステリー|行方不明1.9萬字5 102 -
完結第10話
兄の嘘、妹のリボン
2014年11月、再開発予定地の暗い路地で、17歳の女子高生・中村幸が遺体となって発見された。 自宅まで残りわずか100m。彼女の手には、兄への誕生日プレゼントが固く握られていた。 警察は当初、現場付近にいた前科のある男を疑う。だが捜査は決定打を欠き、事件は未解決のまま時間だけが過ぎていった。 誰よりも妹を思い、涙ながらに情報提供を呼びかけていた兄・拓也。家族も町の人々も、彼だけは疑わなかった。 しかし4年後、取り壊し前の家から封印された一通の封筒が見つかる。 そこに隠されていたのは、兄が守り続けた大きな嘘だった。 最後まで兄を信じていた妹は、なぜ家のすぐ近くで命を奪われたのか。 リボンの結び目に残された小さな痕跡が、誰も見ようとしなかった真実を暴き出す――。ミステリー|行方不明1.4萬字5 275 -
完結第9話
午後4時の失踪日記
1998年8月15日、夏の白浜海水浴場で、大学生の佐藤健二が忽然と姿を消した。 友人たちが海で遊んでいる間、健二は1人で荷物番をしていたはずだった。だが戻ってきた時、敷物の上に残されていたのは、揃えられた運動靴と読みかけの専門書だけ。本人の姿も、鞄も、どこにもなかった。 事故なのか、自ら消えたのか、それとも誰かに呼び出されたのか。 手がかりのないまま、家族の時間は止まり、事件は長い沈黙の中へ埋もれていく。 それから12年後。 白浜町の小さな中古品店で、健二の学生証が入った古い鞄が見つかる。さらに内ポケットから出てきた日記には、失踪直前の彼が抱えていた“ある人物”との金銭トラブルが記されていた。 日記に何度も登場する謎の頭文字「K」。 そして最後のページに残された一文。 〈今日、全てが決まるだろう〉 午後4時、健二は誰と会い、何を決めようとしていたのか。 12年後に見つかった日記が、消えた大学生の夏を再び動かし始める。ミステリー|行方不明1.3萬字5 960 -
完結第9話
8年目の遺失物
1997年8月、東名高速道路の富士川サービスエリアで、28歳の岡田裕子が突然姿を消した。 夫と車で帰宅する途中、トイレへ行くと言って車を降りたまま戻らなかった裕子。夫はその場で通報せず、1人で車を出し、失踪届が出されたのは3日後だった。 財布も身分証も、幼い息子と写った家族写真も見つからないまま、事件は未解決のまま時だけが過ぎていく。 そして8年後。 遺失物センターの棚の奥から、古びたベージュ色のバッグが発見される。中には裕子の身分証、家族写真、そして震える文字で書かれた手紙が残されていた。 「私は今、1人では家に帰ることができません」 あの夜、裕子は本当に消えたのか。 夫はなぜ、妻を残して走り去ったのか。 そして、バッグを届けた“別の女性”は何を知っていたのか。 8年間止まっていた家族の時間が、古いバッグの中の手紙によって、静かに動き始める。ミステリー|行方不明1.3萬字5 1133 -
完結第13話
霧葬の山岳会
1998年10月、長野県の山岳会で、ただ1人の女性会員・高木真美が白い霧の中から姿を消した。 翌年に結婚を控えていた28歳の真美。仲間たちと向かった秋の黒岩岳で、彼女は突然行方不明となり、事故による滑落として処理された。赤いキャップとちぎれたザックの一部だけを残して、遺体は見つからなかった。 残された母は、娘の死を受け入れられないまま、毎年10月12日になると警察へ手紙を書き続けた。 「あの日、娘に何があったのか。どうか、もう一度調べてください」 そして16年後。 黒岩岳の岩の隙間から、古い登山靴と人骨が発見される。そこは、滑落した人間が偶然たどり着くにはあまりにも不自然な場所だった。 さらに遺骨には、事故では説明できない傷が残されていた。 16年前、霧の中で本当は何が起きていたのか。 そして、山岳会の仲間たちはなぜ同じ証言を繰り返したのか。 母の手紙が止めなかった時間が、ついに閉ざされた山の沈黙を破り始める。因果応報|行方不明|孤獨2.0萬字5 3732 -
完結第8話
消えた背番号1
平成12年、都内のホテルで開かれたプロ野球選手・藤原健二の引退会見。 肩の故障でも、年齢でもない。彼がマイクの前で語り出したのは、18年前の春に消えた天才エース投手・宮崎武志の名前だった。 昭和57年、選抜大会を目前に控えた大阪の工業高校。背番号1を背負う武志は、病気の母と幼い弟妹を支えるため、プロ入りを夢見て投げ続けていた。一方、幼い頃から常に武志の後ろにいた藤原は、誰にも言えない嫉妬を胸に抱えながら、控え投手としてその背中を見つめていた。 選抜出発の前夜、家族の苦しみと将来への不安に追い詰められた武志は、学校を出ていく。 その後を追った藤原。 月明かりの下で交わされた言葉は、2人の運命を大きく狂わせることになる。 なぜ天才エースは甲子園を目前に消えたのか。 そして18年後、すべてを手に入れたはずの藤原が、自らの引退会見で語った“本当の理由”とは――。ミステリー|行方不明1.1萬字5 1376 -
完結第8話
10年目の地下室
2004年12月、忘年会の夜。 会社員の田村孝介は、2次会で訪れたカラオケ店から妻へ電話をかけた。 「もうすぐ出る。少し地下に降りるだけだから」 それが、家族が聞いた最後の声だった。 翌朝になっても田村は帰らず、携帯電話の電源は切れたまま。財布も口座も動かず、どこかへ逃げた形跡もない。妻は何度も「夫は地下に降りると言った」と訴えたが、警察は事件性を認めず、行方不明として処理した。 その後、カラオケ店は突然廃業し、店長は海外へ出国する。 誰も調べなかった地下。 不自然に塗り固められたコンクリートの壁。 そして、田村の名前の横に残された謎の星印。 10年後、老朽化したビルの解体工事中、閉ざされていた地下から人骨が見つかる。 田村はなぜ地下へ向かったのか。 あの夜、彼は誰と何を話したのか。 そして、真実をコンクリートの奥へ封じ込めたのは誰だったのか。 忘れ去られたはずの忘年会の夜が、10年の時を越えて再び動き出す。ミステリー|行方不明1.2萬字5 465