"年収2000万円の夫、その創業史に私の名前はなかった" 第15話
夫はゆっくりとスマートフォンをポケットにしまい、テーブルのに両を揃えた。
「……そうだな。余計なお世話だった。すまない」
そのさな仕を見て、私は胸の奥のたい氷が、ほんのわずかだけ軋むのをじた。跪いて回謝られるよりも、この「踏みとどまる瞬」の方が、関係の変化を雄弁に物語っていた。
「奥田社から連絡があったわ」
私が切りすと、夫は背筋を正した。
「しいテストキッチンの現改善プロジェクト、正式に私が業務委託として入ることになった」
「……社が?」
「いいえ。私が奥田さんにをげて、提案をしたの。週、現のオペレーションと試作の助言に入る。あなたが役員報酬から融通する当じゃなく、私のスキルに対する正当な対価として契約を結んだわ」
夫は目を伏せ、唇を噛みしめた。
「そうか。……あそこの現は、彩がいた頃が番まとまってたからな。現の連も、きっとぶよ」
自げに妻のポストを差配しようとしていた男が、今はただ、妻の正当な仕事をの同僚のように認めている。それだけで、この数週の選択は違っていなかったとえた。
別居を始めてヶが過ぎた頃、私のスマートフォンにいメッセージが届いた。
送信者は、義母だった。
『会って謝りたい』
言い訳も、親族を巻き込んだ置きも、切なかった。
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ただそのだけが、画面にぽつんと灯っていた。
私はだけを置き、返信を送った。
『理恵さんが同席するなら、お会いします』
数の昼がり。駅の落ち着いた喫茶の奥のボックス席。
私と理恵が並んで座る向かいに、義母がで座っていた。以のような派な化粧も、振りなアクセサリーもにつけていない。目元にはい皺が刻まれ、膝ので握りしめた指先は、絶えずさく震えていた。
ウェイトラーが置いたアイスコーヒーの氷が、カランと虚しく鳴る。
義母は震えるで、元に置いていたさな袋をテーブルのに持ちげた。
「これ……」
袋のから覗いていたのは、透なビニールに包まれた、品のキッチンスポンジだった。
義母はそれを私に差しそうとして、途でピタリときを止めた。スポンジと私の顔を交互に見つめ、その表が苦痛に歪む。
「……違うわよね」
義母は掠れた声で呟き、袋のを固く閉じて、自分の膝のに戻した。
「しいものを買ってきたからって、の顔に物を投げつけた事実が消えるわけじゃないものね……」
義母は両をテーブルのでね、落ち着きなく指を絡めわせた。
「……これ、かったのよ」
掠れた声で、義母は膝のの袋を指した。
「名なおの、番柔らかいやつだから。だから、あののことは……これで、ね?」
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物で誤魔化し、形だけでも「丸く収めた」ことにしたい。その浅ましい防本能が透けて見えて、私は声もさずにややかに見つめ返した。
私の線に耐えきれなくなったのか、義母の呼吸が乱れ始める。隣の理恵がたく目を伏せると、義母はいよいよ逃げを失い、喉を詰まらせた。
「……直が、話にてくれないの」
ぽろぽろと、みっともなく涙が零れ落ちる。
「親戚から話がかかってきて……あんな派なお嫁さんに何てことしたんだって、みんな私を責めるのよ。私……らなかったのよ。本当に、直がでやってるとってたの。だから……」
言い訳がをついてそうになるたび、義母は自分の膝をぎゅっと掴んで押し殺した。反省したから泣いているのではない。息子に見放され、親族ので「恩を仇で返した愚かな寄り」として孤した恐怖に、打ちのめされているのだ。
「……悪かったわよ」
絞りすような、さく惨めな呟き。
「もう……直にも、あなたにも、余計なしはしないから。美緒ちゃんにも……会わせてくれなくなるなんて、嫌よ……」
これが、かつて私の顔へ濡れたスポンジを投げつけたの、剥きしの現実だった。崇な気づきも、美しい改もない。ただ、自分が築いてきた傲のツケを、孤独という形で支払わされているだけのれな姿。
「お義母さん」
私が静かに呼びかけると、義母は怯えたように肩を縮めた。
「その言葉だけ、聞いておきます」