"年収2000万円の夫、その創業史に私の名前はなかった" 第1話
え切った、汚れたの触が、の頬から首筋へと垂れ落ちていく。
油の浮いた洗剤の匂い。 肌に張りつく、嫌な温かさ。
「卒のあなたが、収2000万円のに皿洗いさせる気?」
静まり返ったリビングに、義母の甲い声が突き刺さる。
に転がったのは、分を限界まで吸い込んでくなったキッチンスポンジだった。 私の頬を打ったあと、絨毯のに鈍いたまりを作っている。
10歳になる娘の美緒が、く鳴をげて子の背もたれに体を縮めた。
夫は流し台ので、ゴム袋をはめた両を宙に浮かせたまま固まっている。 線は私と義母のを泳ぎ、やがて気まずそうにへと落ちた。
「……母さん、言いすぎだろ」
絞りすような夫の声。 それが、夫のからた最初の言葉だった。
「言いすぎ」?
違う。 そこじゃない。
夫は「母さんの言っていることは違っている」とは言わなかった。 「彩に謝れ」とも言わなかった。 ただ、親戚ので鳴り散らした母親の品性を窘めるように、語尾を濁しただけだった。
夫のにも、あるのだ。 収2000万円を稼ぎす自分は、事などするべきではないという特権識。 そして、卒で専業主婦の妻を「養ってやっている」という無言の優越が。
私は鳴り返さなかった。 泣き叫びもしなかった。 エプロンのポケットから乾いたハンドタオルを取りし、無言で頬と首筋のを拭き取る。
広告
指先が、かすかにたくなっている。 りで震えているのではない。 の芯が、氷のように静まり返っていく覚だった。
「お義母さん」
私が静かに呼びかけると、義母はを鳴らし、あからさまに顎をげた。
「何よ。違ったこと言ってないでしょう。朝から晩まで会社で責任背負って働いてる男に、休みのまでゴミ触らせるなんて、嫁として恥ずかしくないの?」
親戚たちが座るダイニングテーブルには、私が今朝6から仕込んだ数品の料理が並んでいた。 汁から引いた根菜の炊きわせ、ふっくら焼きげた旬の鰆、処理をねたキノコの炊き込みご飯。 全員が「美しい」と平らげたばかりの器が、そこにある。
「夫がべた器を、夫が片付けようとしただけです。わがでは、料理を作らなかった側が皿を洗うのがルールですから」
「ルール? 稼ぎの桁が違うので、よくそんなが利けるわね!」
義母は鬼の首を取ったように声を張りげ、隣に座る義妹の理恵に同を求めた。 けれど理恵は、居悪そうに線を逸らしている。 10歳の美緒が、怯えた瞳で私を見つめていた。
母親がに暴力を振るわれ、侮辱される瞬を、娘に見せてしまった。 その事実だけが、胸の奥を鋭く抉る。
私はそれ以、言葉をねなかった。
子からちがり、リビングの隅にある古いサイドボードへ向かう。
広告
義母が背から「話はまだ終わってないわよ!」と何か喚いていたが、私のには届かなかった。
番の引きしの奥。 茶く変した通の封筒を取りす。
数、度も族に見せたことのないもの。 わざわざ見せびらかす必などない、私たちの原点だとっていた記憶。 でも、あのが自分の「成功物語」に酔い痴れ、私を踏み台にして見すのを黙認するなら、話は別だ。
私は封筒から、し角が丸くなった枚の写真を取りした。
ダイニングテーブルへ戻り、義母の目の、油の残る皿の横にそれを滑らせる。
「何よこれ……」
義母が眉をひそめ、写真を覗き込んだ。 その瞬、義母の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「……え?」
横から覗き込んだ理恵が、息を呑む。 流し台のにち尽くしていた夫が、弾かれたように顔をげた。
写真に写っているのは、16の景だ。 今の会社がまだ法化すらされておらず、郊の暗い倉庫を借りていた頃。
央には、のように積みがった属製の業務用バットと寸胴鍋。 徹夜の仕込みを終えたあとの、の踏みもない厨。 そので、全油まみれのを着て、ゴム靴を履いた4のが並んで笑っている。
20代半ばの私。 同じく若く、目のに隈を作った夫。 現社の奥田さん。 そして、8にくなった、夫の父親――義父の姿。