"新調した下着と消えた八百万円" 第2話
貴之は、澪が支度をえていたことにも、調した着のラインがのニットに浮きないよう気を配っていたことにも、うなじから漂う微かな柑橘のりにも、何つ気づいていなかった。興がなかったのだ。澪の女としてのそのものに。
「……うん、そうだね。疲れてるなら、やめよう」
澪は、自分の声が震えないようにすることだけで精杯だった。引きつった笑顔を貼り付け、喉の奥に込みげてくるい塊を必にみ込んだ。
「あ、牛乳切らしてたのいしたから、ちょっとスーパーってくるね」
「え、こんなに? でいいじゃん」
ソファに腰をろし、テレビのリモコンをにした貴之が、画面を見たまま議そうに言った。
「すぐそこだから、ついでにね」
逃げるように玄関をて、のシートに滑り込み、スーパーの駐にを滑り込ませた瞬、堰を切ったように涙があふれした。
ステアリングを握る指先がくなるほど力を込めても、胸の奥を灼くような屈辱は消えなかった。 期待した自分が馬鹿だった。勝にで盛りがり、着を買い、メイクを直し、相の顔を窺って、尻尾を振っていたのだ。 鏡を見るのが怖かった。そこに映っているのは、夫に求められることすら拒絶された、無様でれな代の女の抜け殻に違いなかった。
広告
どれほどのが過ぎただろうか。
スマートフォンの画面が淡くった。貴之からのメッセージだった。
『くなってきたから気をつけてね。アイス買ってきてくれたら嬉しいな』
語尾につけられたらしい猫の絵文字を見た瞬、澪の瞳からすっと温度が引いていった。
彼は、自分が澪をどれほどく傷つけたのか、爪の先ほども理解していない。どころか、自分は「妻に買い物を頼む、穏やかで優しい夫」の役割を完璧に演じているつもりなのだ。
澪は乾いた唇を噛み締め、震える指でディスプレイを消した。
く息を吸い、バッグからティッシュを取りして、黒くにじんだマスカラを乱暴に拭い取った。エアコンの送を顔に当て、赤くなった目をやす。いつまでもここにいるわけにはいかなかった。帰らなければならない。あの、清潔で然としていて、けれど息が詰まるほどたい、の部へ。
を発させ、のを抜けてマンションの駐に滑り込ませた。エレベーターの鏡で自分の顔を入りに確認し、角を無理に持ちげる練習をしてから、玄関の鍵をけた。
「ただいま」
「おかえり。かったね」
リビングでは、テレビからバラエティ番組の甲い笑い声が流れていた。貴之はソファに横たわり、元のスマートフォンをいじっていた。
広告
澪が元に置いたレジ袋に線を落とし、「アイスは?」と無邪気に尋ねてくる。
「……あ、忘れた。売り切れてたの」
「そっか。残」
貴之は何の疑いも持たず、再びスマートフォンの画面へと線を戻した。
澪はその横顔を、キッチンのカウンター越しに見つめた。通った筋、入れされた髪、アイロンのかかった清潔な部着。見、貴之は何つ文句のつけようのない「良き夫」だった。事も分担し、休に暴言を吐くこともなく、ギャンブルもしない。
それなのに、なぜだろう。 澪の元には、底れないたい隙が吹き抜けているような気がしてならなかった。
翌朝、い痛とともに目を覚ました。
窓のは昨夜のが嘘のようにれ渡り、の澄んだ青空が広がっていた。隣のベッドはすでに空になっており、リビングからはコーヒーを淹れる静かなりが漂っていた。
澪はパジャマを脱ぎ捨て、昨夜の惨めな記憶を洗い流すようにシャワーを浴びた。鏡に映る自分の体を直しないようにしながら、仕事用のストレートパンツとベージュのブラウスをに纏う。
リビングにると、貴之はすでにスーツを着込み、トーストをに運んでいた。
「おはよう、澪。昨は悪かったね、急にキャンセルしちゃって」
コーヒーカップを持ちげながら、貴之が何気ない調子で言った。
その顔には、昨夜の澪の涙の痕跡など微も残っていないことを確認してしたような、堵の笑みが浮かんでいた。