"赤ペンの死線と消えた五年間" 第9話
しっかり復習してこいよ」 「ええええっ!? 先、そりゃあんまりだ!!」
夜の舎に、の絶叫と女の澄んだ笑い声が、よく霊していった。
第章:条件付き確率と放課の告定理
事件が解決し、本史の特別追試を翌に控えたの午半。 の空はどこまでもく澄み渡り、図の窓からは茜に染まり始めた富士の稜線がくっきりと見えていた。
テスト期の図にはに徒の姿はなく、奥の閲覧席ではレンとハルカのだけが、机を挟んで向かいっていた。 レンのには、本史の教科、用語集、そして昨のテスト用が並べられている。例の『秀吉は何きていましたか』のバツ印は、今やレンにとって苦笑いなしには見られない記碑のようなものになっていた。
「……よし。関ヶ原の戦いが慶(1600)、徳川康の征夷将軍就任と戸幕府設が慶(1603)。そして秀吉がくなったのが慶(1598)。号の関係と因果関係は完璧にに入ったぞ」 レンがノートを閉じ、満そうに伸びをした。
「結構ね。これでの追試で『き返った秀吉』を再登させる配はなさそうだわ」 ハルカは元の文庫本にしおりを挟み、パタンと閉じた。 だが、その表はいつもの徹な庭教師モードとはし異なり、どこか窓のの夕景を避けるような、微かな翳りを帯びていた。
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「……ハルカ?」 「何かしら」 「お、さっきからページを枚もめくってないだろ。何か別のこと考えてるんじゃないか?」 レンの指摘に、ハルカはさく息を呑み、鏡のフレームに指を添えた。
「相良くん。君は、関係におけるの伝達確率について、考えたことはある?」 「は……? の伝達確率?」 唐突な問いかけに、レンは眉をひそめた。
「ええ。例えば、あるAが、別のBに対して好を抱いているとするわ。この事象を事象 $L$(Love)と定義する。そして、AがBに対して何らかの好なシグナル――常の軽や、放課の勉の付きい、あるいは特定の線――を送る事象を事象 $S$(Signal)とするわ」 ハルカは机のに指先で滑らかな軌跡を描きながら、静かに語り始めた。
「Bの点から見れば、常に観察できるのは事象 $S$ だけよ。では、事象 $S$ が観測されたという条件で、実際にAがBに好を抱いている確率、すなわち条件付き確率 $P(L\vert{}S)$ はどう計算されるべきかしら?」
レンは腕を組み、のでベイズの定理の数式を展した。
$$P(L\vert{}S) = \frac{P(S\vert{}L) P(L)}{P(S)}$$
「ええと……$P(L)$ は事確率、つまりそのが誰かを好きである般な確率だろ。$P(S\vert{}L)$ は好があるときにシグナルをす確率。そして分母の $P(S)$ は、好があろうとなかろうと、そういう紛らわしいを取る全確率だ」
「正解よ」ハルカが静かに頷く。「では、もしも観測者であるBが極めて鈍で、『あいつは俺をからかって遊んでいるだけだ』という事確率のバイアスをく持っていたらどうなるかしら? 分母にある『単なる親やからかいのシグナル確率 $P(S\vert{}\neg L)$』を過に見積もっていたら?」
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レンは瞬きをした。 「そりゃ……計算結果である事確率 $P(L\vert{}S)$ は、著しくい数値として算されることになる。本当は好を持っていても、相には『ただの幼馴染のお節介』にしか見えなくなる」
「そうよ」 ハルカは夕のに照らされた瞳を真っ直ぐにげ、レンの目を正面から見つめた。 その瞳には、からかいのも、論理の鎧もなかった。あるのは、ただの剥きしの、歳の女の戸惑いだけだった。
「計算式がどんなに正しくても、観測者が提のパラメータ設定を違えていたら、真実には永に辿り着けない。……『秀吉がきているはずがない』と決めつけていた君のテストの裏返しよ。『この関係がただの腐れ縁でしかないはずだ』という力なバイアスに囚われていたら、目のにあるなシグナルすら、ノイズとして切り捨ててしまう」
図のの空気が、シンと静まり返った。 くのグラウンドから聞こえていた部活の声も、いつのにか止んでいる。 レンは喉が急激に渇くのを覚えた。 秀吉のの引き算。 図の未返却本。 きと帰りの平均速度。 学園祭のつの扉。 そして、今目ので紡がれている、確率論の仮面を被った言葉の数々。