"返せなかった六百二十円" 第6話
名を使われた女員
「これは、私が確認した類ではありません」
美佐の声は、ったより静かだった。坂はを持ちげ、「落ち着いてくれ」と言った。美佐は机のの印を指した。「私の元の判子ではありません。本のを確かめたという文章も違います」。坂が森崎の机を見たが、答えをくれる支はいない。
「係はごじだったんですか」
「正式な決裁はまだだとっていた。確認済の判が押されているとはらなかった」
「それなら、私の署名がないことを記録に残してください」
坂はためらった。にかれたが、張所全体の責任をするかもしれない。美佐は「私が父の請求を遅らせたことは事実です。その事実までなかったことにはしません」と続けた。
そのの午、美佐は自分ので経緯をいた。の午過ぎ、源吉から百円の請求を受けたこと。印鑑の確認は済んでいたこと。の現を配して、自分の判断で支の確認を回しにしたこと。父が待つことに同したという記録はないこと。最に付と署名を入れた。
文子がを読み、「これをすと、美佐さんが悪かったことにされるかもしれませんよ」と言った。美佐はうなずいた。「でも、私のやったことまでらないのせいにはできない」
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。文子はそれ以止めず、控えを枚、付と刻が分かるように取り、別の封筒に入れた。報告を本へ回すのが坂の役目なら、受け付けたという記録も必だった。
森崎が戻ったのは閉だった。報告を読むと、い黙っていた。ようやく「君はこの状況で、組織が崩れることのを分かっているか」と聞いた。「分かりません」と美佐は正直に答えた。「全部は。でも、自分がやらなかった確認まで、やったことにされる怖さなら分かります」。
森崎は鳴らなかった。その静けさが、かえって恐ろしかった。「なら、しばらく自宅で待してくれ。業務の理がつくまで、勤は控えてもらう」。美佐は目を伏せて礼をした。辞めさせられたわけではない。をどうするかも決まっていない。しかし員として番切にしてきた机から、れることになった。
へ戻ると、父は印刷を回していた。の仕事ではない。町の製本所から頼まれた、学の補助教材だった。が活字を揃え、井がを送り、父が刷りがりを点検する。美佐が入ると械の音が続いたまま、父だけが顔をげた。
「で何かあったな」
美佐はすべて話した。父の請求を遅らせた自分の失敗も、父が待つことに同したとかれた報告も、確認していないのに名が使われたことも。
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源吉は最まで聞き、印刷を止めた。「自分の違いをいたのはええ。だが勝におの名で判を押されたなら、そこは別の問題だ」
「私がいたら、が困るかもしれない」
「だけじゃない。俺の仕事も、職の暮らしも困る。だからこそ事実を分けろ。おの違いと、がしたことを緒にしたら誰も責任を取れん」
が初めて父の話に割って入った。「僕、あのチラシを刷った別のへってきた」。源吉が驚くと、は「械を見せてもらう実で」と言った。町のきな印刷では、の注文は張所の者が直接持ち込み、急ぎで刷らせたという。は名と担当の職の名をにいてきた。美佐は弟のを止めた。
「それ以、勝に調べちゃ駄目。仕事を失うがいるかもしれない」
は満そうに言った。「姉さんばっかり、何もするなって言われるのはおかしい」。父はを見比べた。「。おは印刷したが何を見たかを聞いただけだ。それはいい。だがの類を持ちしたりしてはいかん」。はさくうなずいた。
の通用をる、文子がさな袋を渡してくれた。には、いつも美佐が昼休みに買っていた煎餅が枚あった。『励ますために持ってきたんじゃありません。私、あなたが戻らないままだと寂しいから』。
美佐は笑って受け取り、で泣いた。窓では迷いなく数字をくだとわれていたのに、同じ机で働いた文子は、彼女が何度も違いを怖がっていたことまで見ていたのだ。
帰宅して枚をに渡すと、は半分に割って父の分を残した。なら姉の仕事のことなど気にも留めなかった弟だったが、今は仕事がなくなるがどんなものか分かり始めていた。
美佐は自宅待のに、父ので帳面をつけることになった。代、賃、注文の納期。つの数字が揃わないと仕事は続かない。それを美佐はの数字よりもずっと狭い机で、初めてつずつ学んだ。
井はまだ全部のを受け取れていなかった。父は「催促してくれ。忘れたふりはせん」と言い、賃未払額をきくにいて壁へ貼った。客の目に入るのを気にしたがそうとしたが、源吉は止めた。「うちで働くが、いくら受け取れていないのか。まず俺が忘れんためだ」。
、張所から封が届いた。美佐の報告は受理された。ただし検討にはがかかる、とだけ記されている。父は「結論がるまでで待てと言うなら、うちの仕事を伝え」と言った。美佐は笑えなかったが、久しぶりに返事をした。
「分かった。まず問への支払予定を、緒にてる」
その晩、父のへ預者が訪ねてきた。
先の豆腐・井だった。井はの貼りを畳んで差しし、「お宅で刷ったものではないと、隣の印刷所でも聞いた。悪かった」とをげた。源吉は「うちでなくても、にいた言葉を信じたには関係ない」と答えた。
井はちる、美佐へ聞いた。
「が違いを認めないは、客は誰に聞けばいいんでしょう。員さんがへ帰されるなら、俺たちは窓で何を信じればいいんですか」
美佐は「私にはまだ分からない」と答えた。だがその問いを、次のまで考え続けた。