"「私はいつ休めるの?」に夫は「家にいるだろ」と返した" 第1話
ヶの息子を抱いたまま、濡れた靴の裏にじわりとたい触が染み込んできた瞬、の指先から血の気が引いていくのが分かった。
洗面台の。 蛇の根元からねた滴が、いクッションフロアのに丸くきな染みを作っている。
夫がを洗った跡だ。
び散った滴を拭うという発が、あのにはない。付きっていた頃も、結婚してからのもずっとそうだった。以の私なら、ため息をひとつ吐いて、雑巾でさっと拭き取って終わりにしていただろう。分もあれば片付く「些細なこと」だったから。
けれど今は違う。
腕には、ようやく寝かしつけたばかりのキロを超える悠斗のみ。しでも角度を変えれば、背スイッチが作してがついたように泣き叫ぶ。そのさな命を落とさないよう、膝をギシギシ言わせながら恐る恐る爪先ちで跨ぐ。
たったそれだけのことが、今の私には綱渡りだった。
リビングへ戻ると、夫はいグレーのソファに体を沈め、スマートフォンの画面をスクロールしていた。
脱ぎ捨てられたビジネスバッグがに転がり、シワの寄ったジャケットが背もたれに引っ掛けられている。部には、夫が持ち帰ったの湿った空気と、私が嗅ぎ続けている吐き戻したミルクの酸っぱい匂いが混ざりっていた。
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計の針は、夜の半を指している。
「……ねえ」
声を絞りした。喉の奥がカラカラに乾いていた。
「洗面台、使ったら滴くらい拭いてって言ってるよね。靴、濡れちゃったんだけど」
夫は画面から目をさず、親指をリズミカルにかしたまま言った。
「あ? ああ……ちょっとんだだけだろ。放っときゃ乾くって」
「抱っこして入ると元見えないの。滑ったら危ないでしょ」
苛ちを押し殺したつもりの声は、自分でも驚くほどく震えていた。
その微かなトゲを敏に察したのだろう。夫は煩わしそうに舌を鳴らし、ようやくスマートフォンを胸のに置いた。
「俺だってさ、朝から晩までで気を張って働いて、へとへとになって帰ってきてんだよ。んくらい、いちいち細かいこと言わずに休ませてくれよ」
界が歪む。 胸の奥で、カチリと何かがれる音がした。
「……じゃあ、私は?」
「は?」
「私は、いつ休めるの?」
夫は底理解できないという顔で眉をひそめた。 そして、何の悪気もない、あまりにも無邪気で残酷な言葉を、事も無げににした。
「……何言ってんの? おはずっと、にいるだろ」
部の空気が、瞬で凍りついた。
の奥でキーンという属音が鳴り響く。 腕のの悠斗が、私の胸の張りを察したのか、さくじろぎをしてぐずりかけた。私は無識に体をに揺らしながら、目のに横たわる歳のを見つめ返した。
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言い返すべき言葉はほどあった。 今朝何に起きたか。夜に何回授乳したか。昼ご飯をいつべたか。 けれど、何ひとつ声にならなかった。
このには見えていないのだ。 私のが、何ひとつ。
結婚する、あのは確かに言っていた。 「で協力して、助けっていこうな」と。 あの言葉は、夫ののでは「俺がを稼ぎ、おがのすべてを完璧にえる」というだったらしい。
私は何も言わず、踵を返して寝へ向かった。 背で、再びスマートフォンから画の軽い子音が流れ始めたのが、やけに鮮に聞こえた。
悠斗をベビーベッドにろし、暗い部のでスマートフォンのかりだけを頼りに画面を見つめた。
指先が微かに震えている。 りというより、けなさと、底れない徒労が全を覆っていた。
ホーム画面からメモ帳のアプリをちげる。 私は画面をタップし、今の記憶を繰り寄せるように文字を打ち込み始めた。
夫に見せつけるためでも、喧嘩の証拠にするためでもない。 「おはずっとにいるだろ」と言われた瞬、自分の輪郭が消えてしまいそうだったからだ。私が今、確かに息をして、必に命をつなぎ止めていた証拠を、自分の目で確かめなければ気が狂いそうだった。
01:15 授乳(15分・15分)/オムツ替え(背漏れ・肌着洗い)