"12年消えていた元夫が、娘の式で「父親」になる" 第6話
アイロン台のスチームを止める。 シューという蒸気の抜ける音が、私の苛ちを嘲笑うように消えていく。
「……急に、距を縮めてきたのね」
努めて淡に返すと、話の向こうで奈緒の呼吸が微かに張った。
「急じゃないよ。お父さん、ずっと気にしてくれてたんだから。それにね、お父さんが今度の曜、緒にきたい所があるって言ってて」
「所?」
「うん。静岡のおばあちゃんのところ」
持っていたスチームアイロンのみで、首ががくりと沈んだ。
「……何ですって?」
「おばあちゃんが入ってる老ホーム。お父さん、昔すごくお世話になったから、度ちゃんとお礼とお詫びを言いたいんだって。だから、お母さんも緒にで――」
「ふざけないで」
気がつけば、声が喉から迸っていた。 自分の声のさと鋭さに、自分自で驚くほどだった。
「お母さん……?」
「どのが、そんなことを言っているの。おばあちゃんが倒れた、あの男が何をしたか、あなた本当に忘れたの?」
の。 元夫が若い女と駆け落ち同然で蒸発した直、私の母は労で脳梗塞を起こして倒れた。 命は取り留めたものの、半に麻痺が残り、言葉もうまく喋れなくなった。 病院の集治療ので、私は何度も元夫の携帯を鳴らした。 『母が倒れたの。お願いだから度顔を見せて』 メッセージは既読にすらならず、に弁護士名義で届いたのは、方な婚届と、切の接触を拒絶する通告だった。
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母は、リハビリ用のいゴムボールを麻痺したで握りしめながら、うまく回らない舌で「文子、すまないねえ、私の育て方が悪かったのかねえ」と泣いたのだ。 あの男のせいで、私の母のは狂わされた。 今も静岡の特別養護老ホームのベッドので、私の顔を見るたびに申し訳なさそうにを握ってくる母の元に、あのを連れてくだと?
「奈緒。あのはね、おばあちゃんに謝りたいんじゃない」
指先がりで震え、受話器を握る爪がくなる。
「ただ、しくに入れた『族いの父親』という仮面を、自分の母親の代わりに見せびらかしにきたいだけよ。そんな茶番に、おばあちゃんを巻き込まないで」
「茶番って何よ!」
話の向こうで、奈緒の声が転して甲く裏返った。
「どうしてお母さんは、そうやって全部を悪く取るの?! お父さんは反省してるの! 過のことをやり直そうとしてるのに、お母さんがいつまでも固になって壁を作ってるんじゃない!」
「奈緒――」
「もういい! お母さんには頼まない。私とお父さんと拓也さんのでくから!」
方に通話が切れた。 ツコツコと鳴る子音が、静まり返った作業に虚しく響く。
私は、を帯びたアイロンのプラグをコンセントから引き抜いた。 胸の奥で、たい決が固まっていくのがわかった。
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もう、誤魔化しはきかない。 あの男の嘘と、娘の目を背けた甘えを、これ以野放しにしておくわけにはいかなかった。
翌の夕方、私は奈緒を駅の古い喫茶に呼びした。
平の夕暮れ、暗い内には客もまばらで、く流れるジャズの調べだけが漂っていた。 向かいの席に座った奈緒は、トレンチコートを着たまま腕を組み、嫌そうに窓のを見つめている。 結婚式からまだ週も経っていないというのに、その横顔には、どこか追い詰められたような険しさがあった。
「何の用? 仕事帰りで疲れてるんだけど」
アイスティーのストローを苛たしげにいじりながら、奈緒がをく。 私は何も言わず、持参した使い古しの黒いトートバッグから、通の分い茶封筒を取りした。 テーブルのに、ことりと置く。
「……何これ」
「見なさい」
「だから、何なのよ」
「あなたの学の学費よ。あのが『背負った』という、借の正体」
奈緒の線が、封筒の茶い肌に吸い寄せられた。 喉がごくりと鳴るのが見えた。
私は封筒から、を引きしてテーブルのに広げた。 番にあるのは、に母と交わした私信と、借用。 『文子へ。奈緒ちゃんの将来のためです。返済はいつでもいいから、今はあの子を学させてあげなさい』 母の震える跡でかれた便箋。