"歩けるようになった夫が、最初に捨てたのは私だった" 第18話
ギシッ、ギシッ、と。 完全なをひきずりながら、歩、また歩。
そして、私の目のの畳のに、ドサリと両膝をついた。
「健介!?」 義母の鳴のような声ががる。
夫は、親族全員が見守るで、畳に両をつき、々と額を擦りつけた。
「美。……すまなかった」
絞りすような、嗚咽混じりの声だった。
「おののを奪っておいて、おのプライドを踏みにじって……俺は、男としても、としても、最だった。許してくれとは言えない。……本当に、すまなかった」
静まり返った座敷。 のの掛け軸が、かすかな隙に揺れている。
私は、元で座する夫の、髪の混じり始めた頂部を見つめていた。
胸の奥を、いものが通り過ぎていった。 だが、それは涙にはならなかった。
もし、ヶの私なら。 この座を見て、胸を痛め、「もういいのよ」と駆け寄り、夫の体を抱き起こしていただろう。 そして再び、終わりのない共依の沼へとを踏み入れていたはずだ。
けれど、今の私には分かっていた。 ここで夫を許し、元に戻ることは、夫がようやくに入れた「自への覚悟」を、再び奪いることと同義なのだと。
「をげてください、健介さん」
私の声は、穏やかだった。 澄み切ったの空のように、どこまでも静かだった。
夫が、涙とでぐしゃぐしゃになった顔を、恐る恐るげた。
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「あなたが、自分ので歩けるようになって……本当に良かったとっています」
私はバッグから、もう枚の類を取りした。 緑の枠線が印刷された、枚の。
『婚届』
すでに私の欄には、署名と捺印が済んでいた。 それを、夫のの畳のに、静かに置いた。
「え……」 夫の喉から、掠れた音が漏れた。
「美……俺、で活できるよう、もっと努力する。ヘルパーの使い方も覚えたし、仕事も、来からで復帰できるんだ。だから……もう度、やり直すチャンスをくれないか」
懇願する夫の目を、私は正面から見つめ返した。
「健介さん。あなたはあの夜、私に言いましたよね。『おの顔を見るたびに、自分が番惨めだった頃をいす』って」
夫の体が、ビクッとねた。
「私も同じなんです」
私の唇からた言葉は、酷な宣告ではなく、ただの真実だった。
「あなたの顔を見るたびに、私はいしてしまうんです。自分のキャリアを捨て、社会から切りされ、誰かの排泄物の処理と体温のことだけに怯えていた、あの暗のようなの全部を」
夫の瞳から、が消えていく。
「あなたは、私かられることで、ようやく『病』からの男に戻ろうとした。……私も同じです。あなたかられなければ、私は、『夫にを捧げて裏切られたな介護者』という呪いから抜けせない」
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「美……」
「あなたが自分ので歩いていくように、私も、私ので歩いていきたいの」
私はちがった。 膝のスーツの皺をで払い、背筋を伸ばす。
義母はもう、言も発することができず、幽霊のようにをけたまま座り込んでいた。 親族の誰も、私を引き止める言葉を持たなかった。
「婚届は、あなたのタイミングで構いません。ただ、私の気持ちが変わることはありませんから」
私は夫に向かって、静かに、く礼した。 憎しみも、りも、そこにはなかった。 の結婚活に対する、私なりの、最の誠だった。
「健介さん。お元気で」
振り返ることなく、広の襖をけた。 廊を踏みしめる私の音は、驚くほど軽やかだった。
背から、夫が私の名を呼んで泣き叫ぶ声が聞こえた。 義母が取り乱して親族に当たり散らす声も、微かに届いた。
けれど、私の歩みが鈍ることは、度もなかった。
料亭をると、の澄み渡るような青空が広がっていた。 たいが頬を撫でる。 胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
消毒液の匂いもしない。 湿布の匂いもしない。 ただ、の訪れを告げる、清らかなと枯れ葉の匂いだった。
季節は巡り、。
都内の目黒川沿い、満の桜がに吹かれて、ピンクの吹をアスファルトにらせていた。
私は、築の古いビルの階、しく契約したさな古マンションのベランダにっていた。
取りはワンルーム。 無駄に広かったかつてのとは違い、シングルベッドとさなデスク、それから掛けのソファを置けば、それだけで杯になる空だ。