みかん小説
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"台所へ追いやられた娘婿が、大晦日に義母を連れ去った夜" 第16話

その男が、自由なを引きずって、バスを乗り継いでここまで運んできた、たった千円ほどの豆煎餅。

「……ありがとうございます。いただきます」

私が受け取ると、夫の顔に、ほっとしたような、泣きそうな笑みが浮かんだ。 けれど、夫は靴を脱ごうとはしなかった。 がり框にを突くことも、部を覗き込もうとすることもしなかった。

ただ、玄関のたたきにち、線を泳がせながら、ぽつりと言った。

「が……広すぎるんだ」

たいが、アパートの共用廊を吹き抜けていく。

「テレビをつけても、音が吸い込まれちまう。飯のも、よく分からん。……誰も、鳴る相すらいない」

自業自得だった。 族を具として扱い、尊厳を踏みにじり続けた男の、これが当然の末だ。 同する気は起きなかった。 けれど、憎悪で胸が焼けることもなかった。

「」

夫が、すがるような目で私を見た。

「今度……たまにでいい。陽のあるうちに、お茶でも杯……緒にめんか」

懇願だった。 座でも、命令でもない。 ただのの老が、かつて自分が捨てた温もりを求めて、震えながら差しした頼み。

私は、のの豆煎餅のみを確かめながら、静かに息を吐いた。

「お父さん」

「……あ、ああ」

「お茶を淹れるのは、構いませんよ。でも、私はあなたの妻として淹れるのではありません」

夫の目が、わずかに見かれた。

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「あなたが、のとして、誰かの淹れたお茶を静かにめるようになったら。そのは、杯くらいごちそうします」

「……そうか」

夫はく、くをげた。 「悪かったな、忙しいに」 そう掠れた声で呟くと、自由なを引きずりながら、杖を鳴らして階段をりていった。 その曲がった背を見送りながら、私はドアを静かに閉めた。

許したわけではない。 けれど、もう私を縛る鎖は、どこにもなかった。

「母さん、入るよ」

アパートのドアがき、作業着のにジャンパーを羽織った健司さんが入ってきた。 両には、発泡スチロールの箱と、の酒瓶。

「遅くなってすみません。保ので、いい真鯛がに入ったんで」

「いらっしゃい、健司さん。寒かったでしょう」

「はがいですね」

健司さんは慣れたつきで靴を揃え、がり框に荷物を置いた。 台所で包丁を握っていた真紀が、さく息を呑んで振り返る。

「……健司、お疲れ様」

「ああ。真紀も、来てたのか」

のに、ほんのしのぎこちなさが漂う。 だが、そこには以のような罵倒も、見すような刺々しさもなかった。 健司さんはジャンパーを脱ぎ、真紀の切った揃いな根を見て、ふっと目元を緩めた。

「より、筋が綺麗に通ってるな」

真紀の頬が、カッと赤くなった。 「……お母さんに、教えてもらったのよ」 ごもりながらも、嬉しそうに線を落とす娘の顔は、どこか女の頃に戻ったようだった。

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やがて、会社を納め終えた理恵も流した。

畳の真んに、丸いさな座卓を置く。 級な漆塗りでも、黒檀でもない。 所のリサイクルショップで、私が千百円で見つけてきた、さな折りたたみのちゃぶ台。

そこには、座も座もない。 勝のたい丸子も、威張り散らす主の席もない。

卓のには、健司さんが捌いてくれた真鯛の刺と、真紀が根を煮込んだおでん鍋。 私が昨から仕込んでおいた、駿湾の桜えびのかき揚げ。

「はい、乾杯しましょう」

私が物のガラスのコップを掲げると、のコップがさく澄んだ音をててわさった。

「母さん、このおでん、汁がすごく染みてます」 健司さんが々の根を頬張り、破顔する。

「真紀がね、加減をずっと見ててくれたのよ」 私が言うと、真紀は照れくさそうにビールを煽った。

「もう、お母さん、余計なこと言わなくていいの」

「姉さん、顔赤いよ。お酒いくせに」 理恵が笑い、真紀の肩をつつく。

座敷の隅から隅まで、温かい湯気と、穏やかな笑い声が満ちていた。 誰かの顔を窺う者もいない。 誰かの言葉に怯える者もいない。 ただ、自分がべたいものをに運び、の作った料理を「美しい」と言いう。

が事をするというのは、本来、こういうことなのだ。 、あのたい台所でったまま、え切った残り物を胃に流し込んでいた々の記憶が、湯気のに静かに溶けて消えていくのをじた。

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