"「お父さんの同僚ですか?」と、夫の娘は微笑んだ" 第12話
結婚したばかりの頃、修がそう言って笑っていたのをいした。 あの言葉すら、最初から空っぽの約束だったのだろうか。それとも、あの瞬だけは本気だったのだろうか。 だが、今の私には、その答えを確かめるなどどこにもなかった。
私は静かに扉を閉め、度と振り返らずにマンションをにした。
それからヶが過ぎた。 季節はを抜け、柔らかなの陽射しがを包み始めていた。
婚の続きはすべて滞りなく完した。 マンションは無事に売却され、宅ローンの残債を引いた利益と、夫の退職の分割分、そして慰謝料が、私の個座に振り込まれた。 富豪になったわけではない。豪遊して暮らせるような額でもない。けれど、質素に暮らすのであれば、これからのを誰かに依することなく、自分ので選び取ってきていくには分な、私自の尊厳の結晶だった。
私は郊の静かな駅のくに、当たりの良い箇所の賃貸アパートを借りた。 さなワンルーム。自分で選んだリネンのカーテンと、さな製のテーブル。朝起きるも、夜眠るも、誰の嫌を伺う必もない。誰かのための朝を作ることも、誰かの帰りをえ切った卓で待ち続けることもない。 最初の数週は、あまりの静けさにが痛くなる夜もあった。
広告
けれど、朝のを浴びながら淹れたてのコーヒーをむたびに、私のはしずつ、解き放たれていくのをじていた。
修のそのの様子は、杉弁護士から事務な報告としてにした程度だった。 理恵さんとは完全に絶縁状態になり、奈緒さんとも会うことを拒絶されているという。退職を半分に減らし、マンションを失った夫は、都内の狭い単用アパートに引っ越し、かつての部や同僚とも連絡を絶って、で暮らしているらしい。 自業自得という言葉すら、かける気にはならなかった。男はただ、自分が蒔き続けた種を、自分で刈り取っているだけに過ぎない。
の半ば、私のしいアパートのポストに、差の名がないの封筒が届いた。 裏面を見ると、丁寧な、しかしし震えるような若い文字で「川奈緒」とかれていた。
部に入り、封筒の封を丁寧にハサミで切った。 からてきたのは、枚の写真と、便箋だった。
写真を見た瞬、私の胸が微かに波打った。 それは、ヶのあの定祝いの宴会の入りで、ガーベラの束を両で抱え、し誇らしげにカメラを見つめる奈緒さんの姿だった。 父親を驚かせようと、内緒で会に駆けつけた直の、あの無邪気で誇らしげな表。 便箋には、い文章が綴られていた。
広告
『藤原美紀様
突然のおをお許しください。弁護士の先を通じて、ご迷惑にならないようにおだけお渡ししたいとお願いしました。 あののこと、何度いしても、胸が張り裂けそうになります。 私はあの、ただ好きなパパをばせたくて、おを持って会にきました。 でも、私のその浅はかなが、パパを支えてこられた奥様のを、どれほど残酷に傷つけてしまったか……から母と話し、いりました。 母は静岡で、護の仕事を続けながら、を向いて歩き始めています。父からの連絡は、ともすべて拒絶しています。 私には、奥様に謝る資格すらありません。でも、あの、泣き崩れる私に「あなたはお祝いに来ただけ、何も悪くない」と言ってくださった奥様の言葉が、今も私の胸に刺さっています。 本当に、申し訳ありませんでした。 どうか、お体を切にお過ごしください。
川奈緒』
私は窓辺にち、のに透ける写真をじっと見つめた。 この写真のの彼女は、父親の裏切りも、母の苦しみも、見らぬ本妻のも、まだ何もらなかった。ただ純粋に、自分の父親のの節目を祝福しようとしていただけだった。
私はデスクに向かい、枚の絵葉を取りした。 所の文具で見つけた、青空に向かってぶ鳥の絵柄のものだった。
『奈緒さんへ
おと写真をありがとう。 写真は切に元に置いておきます。