"捨てられた整備士、沈黙の咆哮" 第8話
……異音のている所を、私は根本から違えていたかもしれません」
笹本が迷ったのは、ほんの数秒のことだった。
どうせ今限りで辞めさせるだ。最くらい、好きにやらせてやってもバチは当たらないだろう――そんな、半ば投げやりな諦めにも似たが胸をよぎり、笹本は腰のベルトからの鍵束をすと、放り投げるようにして彼女へと渡した。
田は鍵を受け取ると、迷いのない取りで軽自をリフトの央へ滑り込ませ、操作レバーを引いて体を持ちげた。
しかし、今度はブレーキ周りには切を触れようとしなかった。
彼女が向かったのは、ろの軸の付け根――リアサスペンションのスプリングを受け止める、分い鉄の台座の周辺だった。
そこは、ヶ点検はおろか、に度の検備の法定項目にすら含まれていない、備士であれば誰もが見過ごすような所だった。にねげられたのとアスファルトのタールがこびりつき、赤黒い錆と体化して岩のように固まり、黒々と覆い尽くしている帯だった。
田は作業棚から使い古されたワイヤーブラシをに取ると、台座の奥へと顔を極限までづけ、ゴシゴシと力を込めて擦り始めた。
笹本は呆れたように肩をすくめ、自分の担当する軽バンのタイヤ組み換え作業へと戻った。
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だが、背から響いてくる、鉄とワイヤーが激しく擦れう単調で規則な摩擦音が、どうしてもの奥かられてくれなかった。
ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ――。
分が過ぎ、分が過ぎても、その音は途切れることなく続いた。
削り落とされた赤茶の錆のとの破片が、田の細い肩や、結いげた黒髪のに、まるで細かいのようにり積もっていくのが見えた。それでも彼女は、瞬きすら惜しむように、同じ箇所を執拗に擦り続けていた。
やがて、摩擦音がピタリと止まった。
「……笹本さん」
名を呼ばれたのは、彼女がこのの敷を踏んでから、これが初めてのことだった。
笹本はインパクトレンチをに置き、訝しげな表のままリフトのへと潜り込んだ。田は無言のまま、に持ったペンライトの鋭いを、磨きげられた鉄骨の表面へと向けた。
い錆の層が削り落とされ、属の肌が鈍くしたその所に、本の極めて細い、黒い筋がっていた。
最初は、単なる擦り傷か、表面の塗装の割れにしか見えなかった。だが、笹本はの軍をし、油の染み込んだ差し指の腹を、その黒い筋のへと慎にわせた。
その瞬、笹本の指先が、わずかに奥へと沈み込んだ。
傷ではない。
鉄そのものが、完全に割れていた。
サスペンションの台座をフレームに固定している、もっとも応力のかかる溶接のビードの際に沿って、さにして約センチ。
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属疲労によるクラックが、台座の裏側へと回り込むようにしてくをけていた。その奥は、蓄積した内側の錆に隠れて、どこまで亀裂がしているのか目では判別すらつかなかった。
笹本の項の毛穴が、本残らず逆つような戦慄が全を駆け抜けた。
のが、まるで古い円玉を舌のに押し当てられたのような、臭い鉄ので満たされていくのをじた。それはからりかかってきた錆ののせいなのか、それとも自らの内側から湧きがってきたたい恐怖のせいなのか、笹本には判別がつかなかった。
「……ブレーキペダルからをした瞬に」田の声は、信じられないほど静かで、平坦だった。「軸全体にかかっていた制のねじれが、ほんのわずかに元の位置へ戻ろうとします。その瞬に、この割れた鉄の縁と縁が、瞬だけ擦れっていました」
「この所は……」笹本は自分の声が、信じられないほど掠れていることに気づいた。「この所は、検のテスターでも、回り検査の目でも、普通は見ねえぞ……」
「はい。見ません」
「見ねえよ……。誰も見ねえ。俺だって……このやってきて、こんな所のクラックなんて、ここ度だって見たことねえ……」
笹本の脳裏に、昨夕、の良さそうな笑顔でを振って帰っていった端田さんの顔が、鮮烈に浮かんできた。