"妻は毎晩八時、私を家から追い出す" 第3話
でも、もしそれが嘘だったなら……」
「もし修さんが気づいたら、絶対に許してくれませんよね」
女が言った。 私の名。 その瞬、全の毛穴が斉にいた。 こいつらは、私の話をしている。 私がいないのに、私ので、私の過を暴きてている。
引き戸の取っにをかけた。 指先が微かに震えていた。りなのか、それとも正体の恐怖なのか、自分でもわからない。
勢いよく、戸を引き倒すようにけた。
「……何をしてるんだ、ここで」
乾いた音が部に響き渡った。 リビングのソファに座っていたの女が、弾かれたようにこちらを振り返る。
ダイニングテーブルのには、めたつの湯呑み。 そして、何枚もの類。 そこに座っていたのは、美智子と——
褪せたタートルネックのセーターを着て、浅黒い顔にい皺を刻んだ女。 数、まだ若く、泣き腫らした目で私のプレハブの事務所にち尽くしていた、あの女。
由紀。
ので、属が軋むような甲い音が響いた。 。 あの倒産と、械の油の匂いと、救急のサイレンの音が、瞬で現に引きずり戻される。 誠の妻。 プレスでの自由を奪われた、の旋盤の女だ。
「あなた……」 美智子が息を呑み、ちがった。 その顔には揺がったが、次の瞬には、恐ろしいほどたい諦が張り付いた。
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私の線は、由紀の胸元に注がれていた。 女は怯えたように目を丸くし、座布団のでさくを縮めている。 だが、その目は昔のようにすがりつくような目ではなかった。どこか、れむようなが宿っていた。
その線が、耐えられなかった。 私のに真っ先に浮かんだのは、守ってきたはずの平穏な常が、元から崩れ落ちていく覚だった。 そして、その恐怖を打ち消すために、喉の奥から汚い言葉がせりがった。
「……か」
自分の声が、く濁って部の空気を震わせるのが分かった。
「お、まだを毟り取るつもりなのか? 以ものことを蒸し返して、妻にづいて、体いくら脅し取れば気が済むんだ!」
叫んでいた。 言った瞬、取り返しのつかない穴を掘ってしまったという自覚はあった。 だが、そうにしなければ、自分が加害者であるという事実を認めてしまうことになりそうだったのだ。
由紀は言葉を失ったようにを半きにし、ただ私を見つめていた。 その瞳からすっとが消えていく。
直、激しい衝撃音がリビングを切り裂いた。
ガシャン、とテーブルので湯呑みがね、たい茶が類のにび散る。 美智子が、湯呑みをテーブルに叩きつけたのだ。
「……修さん」
美智子の声は、震えていなかった。 く、をうような酷さを含んでいた。
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「どうして最初に、その言葉がるの?」
「美智子、こいつは——」
「事を聞くでもなく、相が何を話に来たのか確かめるでもなく……どうして番に、を棒みたいに決めつけるのよ!」
妻の剥きしのりを、の結婚活で初めて見た。 いつも私の嫌を伺い、倒産のも文句つ言わずにパートにて借の返済を支えてくれたあの従順な妻が、まるで汚らわしい虫を見るような目で私を睨みつけている。
「私は……おを守ろうとしてだな」 「私を守る? 違うでしょう。自分が守りたいだけじゃない」
美智子のが、テーブルのの濡れた類を指差した。 それは、古びた複写式の圧だった。端が茶く変し、何箇所も折り目がついた面。 私の記憶の片隅にへばりついていた、の印鑑が押された『示談』の控え。
由紀が、おずおずとちがった。 「あの……奥さん。私は、帰ります。今はお邪魔するべきじゃありませんでした」 「さん、待って」 「いいえ、もう結構です。社……いえ、さんの仰る通りです。私たちがここに来るべきじゃなかった」
由紀は私に向かって、々と、形式なお辞儀をした。 その丁寧さが、どんな罵詈雑言よりもく胸に突き刺さる。 彼女は濡れた類をくトートバッグにしまい込むと、私の脇をすり抜けて廊へ向かった。
引き止める言葉もなかった。 ただ、すれ違いざまに微かにった湿布の匂いが、の病院の待の記憶を呼び起こす。