"娘を押し付けた夫、九年目の誤算" 第7話
杉本さんはパンをつけるを止めなかった。止めないまま、言葉を続けた。
「私ね、このスーパーに来るは、駅の法律事務所で事務員をやってたのよ。くね」
初めてにする話だった。
「弁護士の先のすぐ横で、婚調だの遺産相続だの、のどん底にいるようなたちの類を何百通も作ってきたの。だからね、が本当に切羽詰まったの顔っていうのは、見れば発で分かるのよ」
私はフライヤーの油温計に目を落とした。デジタル表示は「170℃」。いつもと変わらない数字だった。
「もし何か困ったことがあるなら、慮なく言ってちょうだい。私が昔お世話になってた先、今は駅で独して個の事務所をやってるの。女性の先で、物腰も柔らかくて、すごく話しやすいだから」
「……ありがとうございます」
私はそれだけを絞りした。杉本さんはエプロンについたパンを払い、声をさらに段落とした。
「ご主は、あなたのそんな顔のこと、気づいてるの?」
「……気づいていないといます」
「そう」
杉本さんはそれ以、何も詮索してこなかった。詮索せずにいてくれるがすぐ隣にいる。それだけで、張り詰めていた私の肩の荷が、ほんのしだけ軽くなったような気がした。
昼の休憩に入る直、惣菜部の奥にある事務所で、から声をかけられた。
広告
「瀬さん、ちょっといいかな」
は子を勧めることもなく、ったまま伝票の束に目を通しながらく切りした。
「来、杉本さんがパートから契約社員にがるんだ。で、その次は瀬さん、あなたを社員に推薦したいと考えてる」
私は油の匂いが染み付いたエプロンので、わず両をぎゅっと組んだ。
「私が……ですか?」
「まだし先の話だけどね。惣菜部の社員は、全体のシフト管理と原価計算がきっちり読めるじゃないと務まらない。瀬さんなら、数字にいし申し分ない。の片隅に置いておいてくれ」
社員になれば、取りでに万円にはなる。現のパート代のほぼ倍の額だった。
作業に戻ってからも、その「万円」という数字が、私ののを何度も何度も回転し続けた。
に万円の確実な収入があれば、と公平のを連れて、でしい暮らしを始めることができる。
私はすでに、のでその具体な活設計を計算してしまっていた。計算していながら、そんな自分に気づかないふりをしていた。なぜなら、その計算の途に、いつも莉子の泣き顔が割り込んできたからだ。
に勤務を終え、自転のかごに買いしの荷物を積んでへと急いだ。
引き戸をけて居に入ると、卓を挟んで公平と莉子が向かいって座っていた。
広告
莉子のには算数のドリル、公平のには部活用のスポーツドリンクのペットボトルが置かれている。
「……だからさ、百のうちのが、パーセントだろ?」
「うん」
「じゃあ、百のうちのは何パーセントになる?」
莉子はさな指を折り曲げて懸命に数え、し自信なさそうに答えた。
「……パーセント?」
「そう! 正解。割っていうのは、元の全体の数が変わっても、比べるきさは同じになるってことなんだよ」
公平は焼けした逞しい腕を組み、莉子のノートを覗き込んで満そうに笑った。
莉子は鉛の先でノートの数字をなぞり、私の音に気づいてパッと顔をげた。
「あ、お母さん、おかえりなさい! 公平お兄ちゃんがね、算数教えてくれたの」
「ありがとう、公平」
「別に。俺もの、ここで引っかかったからさ」
公平はそう言ってペットボトルの残りを気にみ干した。
ふと台所に目をやると、が朝の族分の茶碗を黙々とスポンジで洗っていた。頼んだ覚えは度もない。
に入学して以来、は私がパートで遅くなるは、こうして朝の器を洗ってくれるようになっていた。以、理由を尋ねた、はそっぽを向いて「母さんの、油と洗剤で荒れてっから」とだけぶっきらぼうに答えていた。
「母さん、曜のスパイクだけどさ。
番いワゴンセールのでいいからね」
は洗い終えた皿を切りカゴに伏せながら言った。