"妻が胸に縫い込んだ謎の数式" 第2話
その笑顔を見るたびに、私の胸の奥はきゅうと音をてて縮こまった。私はこのをからしているのに、そのを、彼女が本当に受け取りやすい形で渡せていないのではないか。私のこの理屈っぽいは、番切なを幸せにするためには、何の役にもたないのではないか。
そんな自問自答を抱えたまま迎えたのが、私の歳の誕だった。
「はい、これ。お誕おめでとう」
夕を終え、のほうじ茶を淹れ直したタイミングで、彩がリビングのチェストの奥から、丁寧にラッピングされた平たい箱を取りしてテーブルのに置いた。
クラフトで包まれ、緑のリボンが掛けられたその箱は、両で収まるほどのきさだった。派さはないが、彩らしい丁寧な仕事がじられる包みだった。
「あ……ありがとう。気を使わなくてよかったのに」
からたのは、またしてもそんな判で押したような挨拶だった。の内ではねがるような嬉しさをじているのに、表面にてくる言葉はどうしてこうも気ないのだろうと、内で苦い舌打ちをする。
「いいから、けてみてよ。何が入ってるか、当ててみる?」
彩はいたずらっぽく首をかしげ、卓の向かい側で両肘をついて私を見つめていた。その瞳の奥には、何か企んでいるような、かすかな悪戯が揺らめいている。
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「箱のさと触からすると……布製品かな。シャツか、それともネクタイ?」
「半分正解で、半分正解。けてからのお楽しみ」
私はリボンの結び目に指を掛け、解けないように慎に引っ張った。さらりと解けたリボンを脇に置き、を破かないようにテープを剥がしていく。蓋をけると、いい包みのなかに、いネイビーの布が折り畳まれていた。
「……エプロン?」
取りしてみると、それはしっかりとしたの綿麻で作られた、腰紐と首掛けのついた実用なエプロンだった。落ちついた濃紺ので、私が週末に折、魚を捌いたり煮込み料理を作ったりする姿を見て選んでくれたのだとすぐにわかった。
「そう。あなた、料理するときいつもに油をばしそうになって、あたふたしてるでしょ? からいいのを探してたんだけど、なかなかこれっていうのがなくてね。だから、から選んで仕ててもらったの」
「すごくいいだね。もしっかりしてるし、ポケットもきくて使いやすそうだ。本当にありがとう、彩」
私は胸を撫でろしながら、からの謝を伝えた。これなら普段の私の活にもぴったりだし、何より実用で嬉しい。
しかし、エプロンを胸のに当ててサイズを確かめようと広げたとき、私の線はある点に吸い寄せられた。
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胸当ての側、ちょうど臓の真にあたる位置のさなポケットの縁に、い刺繍糸で、何かが精密に縫い込まれていたのだ。
ブランドのロゴマークではない。何かのワンポイントのイラストでもない。
目を凝らした私は、わず息を呑んだ。
そこに刺繍されていたのは、見紛うことなき、ひとつの「数式」だった。
それは、細い糸でミリ単位の狂いもなく、まるで精密械で印字されたかのように端正にステッチされた、関数の記号列だった。
$$(x^2 + y^2 - 1)^3 - x^2 y^3 = 0$$
私の線がその数式に縫い付けられたままかなくなった。考回が、瞬の空ののち、猛烈な勢いで回転を始める。
次元空の曲面か、あるいは次元平面の代数曲線か。辺全体を展すれば次の項式。$x$ の偶関数であり、対称性を持つことは目でわかる。しかし、これが何を表しているのか、そのグラフの幾何学な全貌は、ただ式を眺めているだけではのなかで即座には像を結ばない。
「……彩、これは?」
私が顔をげると、彩は満そうに元に笑みを浮かべ、湯呑みを両で包み込みながら、涼しい顔で私を見返していた。
「なにって、模様だよ。ただの模様」
「模様って……これ、関数の数式じゃないか。どうしてエプロンに数式が刺繍されてるんだ?」
「ふふ、どうしてだとう? デザイナーの友達に頼んで、特注で刺繍にかけてもらったの。
私にはただのアルファベットと数字の並びにしか見えないけれど……あなたなら、これが何をしてるのか、わかるんじゃないかなってって」