"油まみれの整備士と養子の秘密" 第14話
あゆみは「バイトも勉もすごく忙しいけど、それでもいいなら……」と、恥ずかしそうにさな声で言ってくれた。
あゆみは週にも夜までバイトに入っているのだから、忙しいのは百も承だった。それでも、私はあゆみと同じをしでもく共したかった。
付きいした私たちのデートの所は、決まって内の古い図館での「受験勉」だった。
偶然にも、私とあゆみは同じ学の同じ学部を志望していた。あゆみの模試の判定は、独学にもかかわらず「B判定」だった。幼い頃から両親に教育の環境をえてもらい、庭教師のように勉を見てもらっていたおかげで「A判定」をとっていた私が、逆に彼女に勉を教えるという形になることもかった。
私は名国学の両親がいつでも自宅で勉を見てくれる恵まれた環境にいたが、あゆみは塾にも通えず、学入試の勉を誰かに教えてもらうこともできない孤独な状況ので、それだけのい判定をしているのだから、彼女がどれほど必に努力しているかが痛いほど分かった。
あゆみのその「どうしても学に入りたい」といういい志に触れるたび、私は「なんとなく業を継ぐために学にこう」と甘い考えを持っていた自分がひどく恥ずかしくなり、で初めて自分の将来と本気で向きうようになった。
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――あゆみに会えたおかげだ。
私たちは切磋琢磨し、同じ学の同じ学部を受験した。
本でも数の難関とされる学の法学部。あゆみは「児童虐待や犯罪の被害者を法律で守る弁護士になるため」、私は「両親の残してくれた産経営と、族の活を支えるため」。それぞれ理由は全く違ったが、揃って無事に格通を勝ち取ることができた。
格発表の掲示板に自分の受験番号を見つけた私は、すぐにあゆみに連絡を入れた。両親はが事のようにびしてくれ、歳になってすっかり言葉を話せるようになった妹の望みからも「おにいちゃん、格おめでとう!」とお祝いの言葉をもらった。
あゆみも施設や職員のたちにすぐに連絡を入れ、受話器の向こうからたくさんのお祝いの言葉をかけてもらいながら、スマホをにしてからの嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
こうして、私たちは揃って学になった。
学に学してからも、あゆみは児童養護施設から学に通い続けた。児童養護施設のには「を卒業したら原則として退所しなければならない」という厳しいルールを設けているところもいのだが、あゆみが育った施設は「卒の社会は歳まで、学学者は学を卒業するまで籍してサポートを受けることができる」
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という温かい方針の施設だった。
つまり、卒で就職したはで自資を貯める猶予があるのに対し、学学者は学学ので自分の力で自の基盤を用しなければならないということだ。
あゆみは学学も、自分の力で完全に自するために、相変わらずアルバイトと学の講義、そして司法試験の勉にと、目の回るような忙しい毎を送ることになった。それなのに、あゆみは自分の置かれた過酷な境遇について平満をにすることは、度たりともなかった。
「施設で育った仲のには、本当は学に通いたくても、経済な理由や寄りのなさから卒で働きにざるを得なかったもたくさんいるの。それに比べれば、こうして奨学とバイトで学に学させてもらえている私は、世界幸せ者よ」と、彼女はいつも眩しい笑顔で笑うのだった。
運だとえばどこまでも幸にえる環境であっても、自分のの持ちようと点を変えれば「幸せだ」と向きに捉えることのできるあゆみのことを、私はの底から尊敬していた。
学活を続けていくで、私とあゆみのには別れの危が何度か訪れたこともある。
主な原因は、私とあゆみの活や精神な余裕の圧倒な「ずれ」
にあった。は学の講義にて、夜遅くまでアルバイトや図館の自習に励むあゆみと、比較余裕のあるキャンパスライフを送っていた私とでは、緒に過ごせるを確保するのが次第に難しくなっていったのだ。