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"油まみれの整備士と養子の秘密" 第12話

「望み(のぞみ)」と名付けられた妹のい泣き声がのどこかからしでも聞こえてくれば、受験のピリピリとした勉を断してでもすぐにんでいった。母が望みをベビーカーに乗せて所へ買い物にかけようとすると、「にはばい菌がたくさんいるから、置いていくように!」と本気でるほどだった。

そんな私にいい加減呆れた父から、「おはもうすぐ受験なんだから、望みのことばかりより自分の勉に集しろ!」と厳しく注されてしまう始末だった。

受験をいよいよヶに控えた頃には、私のあまりの妹への溺っぷりに、ついに両親から「望みとの接触禁止令」をされてしまうほどだった。私は「望みと接触を禁止された方がストレスで受験勉に集できない!」と必に訴えたのだが、さすがにそんな子供の理屈を聞き入れてもらえるはずもなかった。

「ストレスで受験に失敗したらどうするんだよ!」と私が逆ギレすると、「おおい輔、おは受験の失敗を妹のせいにしようというのか?」と父に静に言い返されてしまって完全論破されてしまった。

これにはさすがに私も言い返すことができなかった。もし俺が本当に受験に失敗したら、両親は「妹にかまっていたせいだ」というに違いない。そうった私は、受験までの最のヶ、文字通りに物狂いで勉した。

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この頃はもはや受験勉というより精神なマニア状態になっていたが、学の頃から毎の予習復習をコツコツと積みねてきていたおかげで、模擬試験の成績も常に学トップをキープしてきた私は、難なく第志望のに格することができた。

――「難学」には違っていないが、私活の緒に関しては「難なく」と言っていいものかどうか、かなり微妙なところだ。

無事に受験を終えて休みに入った私は、毎望みのそばから秒たりともれようとしなかった。その休みの、学代に私をからかってきた連も「噂の妹を見せてくれ」とにやってきたのだが、いざ本物の望みのあまりの使のようなさを目の当たりにすると、みんな様にメロメロになって帰っていった。

志望だった名学の付属に学した私は、さすがにになって毎妹につきっきりというわけにはいかなくなり、自然と「溺する兄」から「普通の優しい兄」へとシフトしていった。ただ、それでも周囲の友たちからは「シスコン」「お兄ちゃん子ならぬ妹バカ」と言われるのはし満だった。兄がい妹に優しくして何が悪いというんだ。

に入って最初の休みを目にしたある、私は父から「そろそろアルバイトの面接にってみたらどうだ?」

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と勧められた。

お遣いの額に満があったわけではなかったのだが、父曰く、「のうちから社会にて自分の力で働くという経験をしておいた方がいい。自分で汗垂らして稼げるおがどれくらいあるのか、その稼いだおをどのように計画に使うのか、それを肌でるだけでも素らしい経験になる」とのことだった。

おそらく、私があまりにも妹の望みにべったり執着しているのを配して、しの世界に目を向けさせたかったのだろうという親は、なんとなく像がついた。

こうして、私はで初めて自分ので履歴をくことになった。

しかし、アルバイトの履歴などくことがほとんどない。しかたがないので、記憶の限界である「幼稚園入園」の欄から学歴をくことにしたのだが、その過の記憶を脳内で遡っていた私は、ちょっとした奇妙な違を覚えた。

――幼稚園に通っていた記憶はある。しかし、それ以に、まるで保育園のような、あるいはもっと集団活の所のようなところにも期で通っていたような、おぼろげな記憶が混ざっているのだ。

両親からは「ずっと普通の幼稚園に通っていた」と聞かされていたし、当のい制を着ているアルバムの写真もちゃんと残っている。

しかし、そのアルバムの幼稚園とは全く違う所で、勢の子供たちと緒にきな部で過ごしていたような、そんなフラッシュバックのような記憶があった。

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