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"油まみれの整備士と養子の秘密" 第10話

いつも惜しみないを注ぎ、切に育ててくれた。

私は勇気を振り絞り、枚の戸籍謄本をに持って、両親に真っ直ぐに問いかけることにした。

私の名は戸籍輔(とざき だいすけ)、歳。将来は両親の助けをするために、産の管理会社に勤務している。

両親はいわゆる「主」というやつで、その産を管理しているのだ。代々受け継がれてきたを活用して、マンションやアパート、駐などを経営しているので、客観に見ればがは裕福な庭だと言える。

ただ、父が幼い頃はただの「持ち」というだけで、現のない貧しい暮らしをしていたらしい。そのおかげというかそのせいというか、父のモットーは「質実剛健」だった。はごく普通の軒だし、庭こそそこそこ広めに作られているが、そのほとんどは庭菜園や果に使われている。もちろん、政婦さんなんて雇っていない。事は母の作りだし、テレビドラマにてくるような裕福な庭のフルコースがてくることなんて、あるわけがなかった。

その代わり、私の教育には惜しみなくおをかけてくれた。幼い頃から私が興を持ったことにはすべて挑戦させてくれたし、学が期休みになると、経験のために国内・問わず、必ず様々な所に旅に連れていってくれていた。

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旅で今でも鮮に記憶に残っているのは、学の頃にったスペインだ。歴史建造物がいということで、父が歴史の勉のためにと選んでくれた所だった。にもフランスやドイツ、カナダ、ブラジルなど、様々な国に連れていってくれた。その先々で、両親は私にその国の歴史や文化を分かりやすく、まるで絵本を読み聞かせるように説してくれたものだ。

おそらく、両親は私に教えるために、事に必で歴史や文化を勉してくれていたのだろうとう。国内旅もそのほとんどは「教育になること」がメインで、名なテーマパークやアミューズメント施設などにったことはほとんどなかった。

純粋に楽しむ所にくのは、私の誕の旅に限定されていて、パスポートを持っていてしょっちゅうディズニーや遊園にっている同級たちのことを、子供の頃はの底から羨んだものだ。

そうは言っても、旅が楽しくなかったわけではない。両親が話してくれる歴史や現の文化を聞くのは純粋に面かったし、世界各のいろいろな料理をわえるのも嬉しかった。ただ、イギリスの事だけは私のには全くわなかったのを覚えている。今でも「ハギス」という羊の内臓を使った伝統料理の写真を見るだけで、あのの独特の匂いが蘇ってきてべることができない。

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あのは「く本に帰りたい!」と本気でっていたのは、両親と私の共通の認識で、今でも実に帰ると笑い話として話題にがるほどだ。

私が学になると、部活や塾の勉で忙しくなり、旅にく会はほとんどなくなっていった。

両親は将来の受験が楽になるようにと学受験を勧めてくれたが、私はあえて受験せずに元の公学に通うことにした。単純に、学の仲の良い友たちとれるのが嫌だったからなのだが、いざ学に入ってみると、それぞれが別の部活や友達の輪ができ、あまり関わらなくなってしまった友たちもなくなかった。そう考えれば、両親がめてくれたようにしっかりと学を受験しておけばよかったと、あとになって悔したこともあった。

そのこともあって、受験は本気で取り組もうと、勉に部活にと毎が目の回るように忙しい々を送っていたのを覚えている。両親も私の受験にわせて、羽織のようにサポートしてくれていたに違いない。

勉は塾に通わず、名国学の両親が脚で見てくれていた。部活の試のには母が保護者会の活をにやってくれていたし、父も仕事のを縫って必ず応援に来てくれていた。

そんながの活がしだけ変わったのは、私が学になるしのことだった。

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