"嫌なら出ていけと言った夫へ" 第14話
【14】「すみません、このは売りません」
修の言葉が落ちた瞬、リビングの空気が止まった。
「会社を辞めて……俺には肩も、部もなくなった」
修は両で顔を覆い、肩を激しく震わせた。
指の隙から、濁った涙が溢れている。
「朝起きても、くところがない。所を歩いても、誰もおの旦としてしか見てくれない。このだけが……俺が、社会で戦ってきた唯の証拠だったんだ。『俺のだ』と威張ることでしか……自分がここにきていていい理由を、見つけられなかったんだよ……」
企業の元部。
の絶対君主。
その分い鎧をすべて剥ぎ取られたに残っていたのは、定という荒野に放りされ、孤独に怯えるの老に過ぎなかった。
直が息を呑み、奈央が目元を押さえた。
は、静かに線を窓のへと逃がした。
誰も、修を責める言葉を持たなかった。
彼がやってきた傲な支配は決して許されるものではない。
だが、その支配の根底にあったのが「男としてのれな空虚さ」だったという事実に、子どもたちもまた、言葉を失っていたのだ。
私は、元に置かれた象の実印を見つめた。
そして、朱の印肉を見つめた。
この印をに押し当てれば、千百万円がに入る。
修の傲なを物理に消しり、完全な勝利を収めることができる。
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彼をに迷わせ、これまでのの理尽に、最の報復をすことができる。
――けれど。
私の線は、リビングの隅の柱へと向かった。
そこには、の子どもたちが笑いながら背を押し当てた、歪な傷痕が残っている。
私のき両親が、汗垂らして買ってくれたオーク材のテーブルが、今もこうして族の腕を受け止めている。
この男に復讐するために、私は自分のまで、ので解体させていいのだろうか。
憎しみをらすためだけに、子どもたちの原景をにしてしまっていいのだろうか。
私は、ゆっくりと実印をに取った。
修が息を呑み、絶望の表で目を瞑る。
カチャリ。
私は実印を、のではなく、自分のバッグの奥くへと戻した。
そして、朱肉の蓋を静かに閉めた。
「……野さん」
私は子からちがり、スーツ姿の営業マンに向かって、々とをげた。
「変申し訳ございません。この契約に、印鑑を押すことはできません」
野さんが弾かれたようにちがった。
「えっ!? お、奥様、本気ですか!? 満額ですよ!? 買主様は役員会を通して決済をろしているんです! 今さら撤回など――」
「ペナルティが必であれば、正規の数料と実費は全額、私の個資産からお支払いいたします」
私は真っ直ぐに野さんの目を見据えた。
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「このは、売りません」
野さんは私の揺るぎない瞳を見て、何かを察したようにきく息を吐きした。
類をまとめ、バインダーに挟み込む。
「……分かりました。違約の続きについては、ご連絡いたします。ですが……本当に、よろしいのですね?」
「ええ。勝を言って、本当に申し訳ありませんでした」
野さんが玄関をていき、い鉄の扉が閉まる音が響いた。
リビングに、沈黙が戻った。
ソファーの端で、修がへたり込むように息を吐きした。
まるでの淵から還したかのように、額の汗をの甲で拭い、呆然と私を見げている。
「……理恵」
修の元に、堵の笑みが浮かびかけた。
いつもの、事態が丸く収まったに彼が見せる、都のいい夫の顔だった。
「よかった……おも、分かってくれたんだな。いろいろと悪かったよ。これからは俺もしは丸くなるから、また元の活に――」
「勘違いしないで、修さん」
私のたい声が、夫の堵を真っつに切り裂いた。