"誰も売るなと育てた父" 第12話
仕てたばかりの袖
午。
がの障子を黄く染め始める頃、父の部の引き戸が静かにいた。
廊に現れた父の姿を見て、私は息を呑んだ。
濃紺の、品のスーツ。袖にはまだ折り目正しく仕ての糸の匂いが残っており、いワイシャツの第ボタンまで隙なく留められていた。普段の油にまみれた作業着姿しからない私にとって、その佇まいはあまりに自然で、痛々しいほど張り詰めていた。
父は無言のまま、玄関の鏡のにった。
昨夜、あれほど激昂し、泣き崩れた男の顔ではない。く引き結ばれた唇と、張った頬の筋肉。何かの処刑へ向かう囚のような、異常なまでの沈黙が父を包んでいた。
「……父さん」
私が背から声をかけると、父は鏡越しに私を瞥した。
「川さんと、話で話したよ」
父のが、ネクタイの結び目を直そうとした位置でピタリと止まった。
鏡のの父の瞳が、微かに揺れる。だが、昨のように取り乱すことはなかった。
「……そうか」
く、絞りすような声だった。
「駅のこと、聞いたよ」
私は父の背に向かって、歩踏みした。
「久美さんがっていく、父さん、駅までって追いかけたんだってな。フェンス越しに、ずっと見てたんだろ。……父さんは最初から、自分が何をしたか、全部分かってたんじゃないか」
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父は振り返らなかった。鏡のの自分自を、まるで赤のを値踏みするように、じっと見つめ続けていた。
「どうして週にスーツを買ったんだよ。昨の帰りに買ったって、どうして嘘をついたんだ」
父の喉仏が、きくした。
「……怖かったんだよ」
父のから、乾いた砂を吐きすような声が漏れた。
「週、あいつの名を見た瞬から、毎晩あの駅のを見た。……、俺は『あいつは庭の事で辞めたんだ』『俺があんなことを言わなくても同じだった』って、自分に言い聞かせてきてきた。そうわなきゃ、おをまともに育てられなかった」
父はゆっくりと向き直った。
その両は、仕てろしのスーツのスラックスの脇に、固く、くなるほど握りしめられていた。
「だがな、健太。あいつに会って、『俺もあの頃は辛かったんだ』『許してくれ』なんて言えるわけがない。そんな資格、俺にあるはずがないんだ」
「だったら、どうしてくんだよ! 内さんたちも、来るなって言ってるんだぞ!」
「逃げたらな」
父の濁った瞳の奥に、かつて見たことのない、徹なが宿った。
「俺はぬまで、あのフェンスにしがみついたままのガキのままだ。……おに『を傷つけるな』なんて説教したで、自分だけ全な所に隠れてんでいくなんて、そんなこと……できるわけがないだろう」
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父は玄関のにり、丁寧に磨きげられた黒い革靴にを滑り込ませた。
靴紐を結ぶは、今朝とは違って、微も震えていなかった。
私は壁に掛けられていたのキーを掴み取った。
「送るよ」
父は驚いたように顔をげた。
「いい。でく」
「宿までで半だ。……乗れよ、父さん」
私は父の返事を待たずに玄関の扉をけた。え込み始めた夕暮れの空気が、のに流れ込んでくる。
父は数秒ち尽くしていたが、やがてく「……すまんな」とだけ呟き、私のに続いて歩きした。
宿の層ビル群へ向かう首都速の、内は苦しい沈黙に支配されていた。
助席の父は、膝のに置いた両を度も崩さず、流れていくの景をただ見つめていた。仕てたばかりのスーツの袖が、夕暮れの灯のを浴びて、鈍くっていた。