"あんたの金なら一滴も飲まない" 第3話
触れてはいけない名
午、私は病院の階にある形科病棟を訪れた。
廊には消毒液の匂いが満ち、子を押す護師のゴム底の音が忙しなく響いている。部の窓際のベッドに、母は背を起こして座っていた。
「お母さん」
カーテンをけて声をかけると、母は元で剥いていたみかんから顔をげた。鏡の奥の細い目は、歳とはえないほど澄んでいて、しっかりしていた。腰にコルセットを巻いているせいできはぎこちないが、表には認症のも、老衰の衰えも微もなかった。
「ああ、美。の鍵、ちゃんとかけてきたかい」
母の第声は、いつものように私を子供扱いするような確認だった。
「かけてきたわよ。洗濯物も干してきた。……それより、これ」
私は持参したトートバッグから、今朝届いた牛乳瓶を取りし、ベッド脇の製キャビネットのに置いた。カツン、とい音が病にさく響いた。
母の線が、その赤いキャップのに落ちた。
ほんの瞬、みかんの筋を取っていた母の指先が止まった。だが、次の瞬には何事もなかったかのように線を窓のへ逸らした。
「わざわざ持ってこなくていいのに。牛乳なんて、病院のでもるよ」
「ませたくて持ってきたんじゃないの」
私はベッドの横の丸子を引き寄せ、腰をろした。
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母の横顔をまっすぐに見据える。
「さっき、町牛乳に話したの。入院だけでも配達を止めてもらおうとって」
母は何も答えず、剥いたみかんのをに運んだ。ゆっくりと噛む顎のきだけが見える。
「そしたらね、族の話じゃ止められないって言われたわ。お父さんがくなる直にそういう契約にして、今も誰かが毎代を振り込んでるって。……お母さん、ってたの?」
病の空気が、急激にくなった。
同の患者が点滴の管を揺らす微かな摩擦音だけが聞こえる。母は咀嚼を終え、唇をナプキンで拭ってから、ようやく私の方を向いた。その顔には、驚きも揺もなかった。あるのは、頑固なまでに固く閉ざされた拒絶の表だった。
「ってたよ」
あまりにもあっさりとした返答に、私は言葉を失いかけた。
「ってたって……誰が払ってるの? 親戚? それともお父さんの保険か何かの関係?」
「おには関係ないことだよ」
母の声はく、平坦だった。っているのではなく、最初から取り付く島もない壁のようなたさだった。
「関係ないわけないでしょ! 私、仕事を休んで静岡まで病に来てるのよ? 実の面倒を見てるの。それなのに、もどこの誰だか分からないから施しを受けてるなんて聞かされたら、配するに決まってるじゃない」
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「施しなんかじゃない」
母は遮るように、ぴしゃりと言い放った。
「誰にも迷惑はかけてない。あの牛乳は、届くべくして届いてるんだよ。おが首を突っ込むようなことじゃないの」
「じゃあ教えてよ! 誰が払ってるのか、言言ってくれればいいじゃない。どうして隠すの?」
「隠してなんかないよ。話す必がないから話さなかっただけだ」
母はを伸ばし、キャビネットのの牛乳瓶を鷲掴みにすると、私の膝のにあるバッグのへ乱暴に押し戻した。骨折している腰に痛みがったのか、わずかに顔を顰めたが、すぐに元の険しい表に戻った。
「その牛乳は持って帰りなさい。そして、度と牛乳に話したり、誰が払ってるかなんて嗅ぎ回るんじゃないよ。いいかい、絶対に調べるんじゃないよ」
「お母さん……」
「これ以騒ぎてるなら、もう病院にも来なくていい。洗濯物くらい、護師さんに頼めば自分で何とかするから」
母はそう言って、私に完全に背を向け、毛布を肩まで引きげてしまった。
私は膝ののいバッグを抱えたまま、ち尽くした。
の母が、娘に対してここまで骨な敵と警戒を見せたのは、私の記憶にある限り度もなかった。
隠している。違いなく、られては困る何かがそこにあるのだ。
「調べるな」と言われて、はいそうですかと引きがれるほど、私は従順な娘ではいられなかった。