"私を捨てるはずだった夫" 第14話
缶ビールと刀魚
曜の夜、のはがっていたが、底えのするがマンションの壁を鳴らしていた。
午を過ぎた頃、リビングからパシュッという缶ビールをける音が聞こえてきた。
いつもなら自分の部に籠もっているだったが、私は台所へ麦茶を取りにった。
リビングのさなローテーブルには、本のプレミアムモルツと、スーパーのプラスチックパックに入った焼き鳥が置かれていた。
直はスウェット姿でに座り、テレビもつけずに、元のグラスを見つめていた。
「……由美」
私が通り過ぎようとすると、直がく声をかけた。
「杯だけ、いいか」
断ることもできた。
けれど、テーブルののもう本の缶ビールには、まだプルタブに指がかけられていなかった。
えた缶の表面に、細かな滴がびっしりとついていた。
私は無言で、直の向かい側に腰をろした。
缶をに取り、プルタブを引く。プツリと炭酸の抜ける音が、静まり返ったリビングに響いた。
グラスは使わず、缶のまま喉に流し込んだ。
苦が舌を刺激し、たさが胸の奥へ落ちていく。
「……ヶ、経ったな」
直がポツリと言った。
ビールの泡を見つめたまま、自分に言い聞かせるような声だった。
「ええ」
「おの言う通りだったよ。俺はさ、ずっと逃げを探してたんだとう」
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直は缶をテーブルに置き、両を膝ので組んだ。
その指の節々は、以よりもし痩せて見えた。
「美咲が寮にって、きりになった、本当に怖かったんだよ。会話が途切れるたびに、俺たちのは美咲を育てるためだけの契約だったんじゃないかって、突きつけられてる気がしてさ。……だから、になりたかった。になれば、誰の期待にも応えなくていいし、おのめた目を見なくて済むとった」
私は何も言わず、目のビールをんだ。
責める気にはならなかった。その恐怖は、私もまったく同じように抱えていたものだったからだ。
「でもさ」
直がふっと、自嘲気に笑った。
「このヶ、完全におと同居になってみて……変な話だけど、分かったことがあったんだ」
「何が?」
「俺、ってたほど、で平気じゃなかった」
直は線をげ、まっすぐに私を見た。
その瞳には、かつて見たことのない、素直な困惑が浮かんでいた。
「曜の夜、がっただろ。おがパートから帰ってくる、が遅れてるってニュースを見てさ。……俺、スマホ見ながら『傘、持ってたかな』ってってたんだよ。ルール違反なのに、畳半の部から玄関の傘てを覗きにったりしてさ」
臓が、かすかにねた。
曜の夜、確かに私は折り畳み傘を持たずにをて、りで帰ってきたのだ。
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「それから、昨スーパーにったさ。鮮魚コーナーで刀魚がくなってたんだ。……それを見た瞬、『ああ、由美に買って帰ったら、また焼き加減がパサパサだって文句言われるな』って、ので勝におの声が再された」
「……」
「美咲からLINEが来たもそうだ。『サークルの宿終わった』って通来ただけで、真っ先におの部のドアを叩いて、『美咲から連絡あったぞ』って言いたくなった」
直は息を吐き、首をゆっくりと横に振った。
「馬鹿みたいだろ。も緒にいて、散々息が詰まるだの逃げしたいだの言っておきながらさ。……おがいない活を像すると、荻窪の静かな部で、俺は何を支えにきていけばいいのか、全然分からなくなったんだよ」
部のに、化製品のモーター音だけがく響いていた。
直の言葉は、の告などという甘いものではなかった。
ただ、の歳が、らずらずのうちに互いの皮膚の裏側にまで染み込んでしまっていたという、臭い事実の吐だった。
「……でもさ」
直は言葉を継いだ。
声が、わずかに震えていた。
「これがなのかどうかなんて、俺には分からない。ただの執着かもしれないし、で飯をうのが寂しいだけの、みっともない甘えかもしれない。……こんな途半端な気持ちで、おに『やり直そう』なんて言えるわけがないんだよな」
「そうね」
私はく答えた。
嘘をつく必はなかった。
「そんなもの、の言い訳にはならないわよ」
直はさく頷いた。
諦めたように、寂しそうに笑った。
「だよな。……悪かった。変なこと言って。忘れてくれ」
直がちがろうとした、私は空になったビールの缶を、トントンとテーブルに打ち付けた。
「でも」
直のが止まった。
「あなたがで考えて、でそこまで気づいたのは……で、これが初めてね」
直が振り返った。
その表は、暗がりので見かれていた。
「やり直すかどうかなんて、私も分からないわよ。また息が詰まるかもしれないし、にはあなたの顔を見るのも嫌になるかもしれない。……だから、綺麗な答えなんてさなくていいの」
私はちがり、空き缶をキッチンのゴミ箱へ運んだ。
背を向けたまま、言った。
「曜の朝、あなたが決めて。私は、それを受け入れるだけだから」